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今井恭司のサッカー千蹴写真館

ラモス瑠偉 ‐ サッカー殿堂入りした日本の10番(後篇)

第15回日本サッカー殿堂掲額式典でのラモス瑠偉さんと加藤久さん

第15回日本サッカー殿堂掲額式典でのラモス瑠偉さんと加藤久さん

この写真は、2018年9月10日、日本サッカーミュージアムで開催された第15回日本サッカー殿堂掲額式典で笑顔を見せるラモス瑠偉さんと加藤久さんです。

努力したことは裏切らない

表彰式では、その年に殿堂入りした方がひとりずつスピーチするんだけど、ラモスさんのスピーチはとてもいい言葉だなと思って聞いていました。

「僕はもともとそんなに上手い選手じゃない。でも人より努力したからここまでこれた。努力したことは裏切らない」っていうんですよ。いやあ、この人が「努力」って言葉をここで使うかって思ったんだけど、すごいなと思いましてね。またラモスさんのことが好きになっちゃいました。

 

A_199411051994年11月JリーグNICOSシリーズ第18節ヴェルディ川崎対名古屋グランパス戦

朝食はコーヒーだけ

ラモスさんのとてもアグレッシブなプレースタイルからは想像できませんが、昼すぎの午後1時とか2時にキックオフの試合だと、朝から何も食べなくて、コーヒーだけだったりするんです。試合まで5、6時間もあれば消化するんじゃないかと思うんだけど、身体が受け付けないって。食べないっていうか、食べられないっていうか……。だからそういう日は試合が終わるまでコーヒーだけ。ホテルでみんなで朝食を食べてるでしょ? でもその中で、ラモスさんはコーヒーだけだった。


それが自分の流儀だからって言うんですよ。食べると試合中に動けなくなると。だからこの歳になっても、ずっとあれだけスマートな体型でいられるんじゃないかな。ブラジルの選手は引退すると現役時代のままの体型を保てなくて、贅肉が付いてくる選手が意外と多いけど、ラモスさんは珍しいタイプです。理由ははっきりとはわからないですけど、とにかく試合前にはほとんど食べなかった。食べないと力が入らないんじゃないかなって思うんだけど、逆になんかダメで、コーヒーだけの方が調子がよかったらしい。そういう自分だけのジンクスというか、ルーティンみたいなものを持っていました。

 

B_198204041982年4月日本サッカーリーグ開幕戦、読売クラブ対フジタ工業戦

1年間の対外試合出場禁止処分

来日したばかりの頃、激しいプレーや素行とか、いろんな理由でレフェリーにすごく目をつけられて、ちょっとした接触プレーでもすぐカードをもらったりしてました。この人も生涯何枚カードをもらったかわからないけど、それで黙って「すみません……」って言うタイプじゃないじゃないですか。そこからまた抗議して、レフェリーも頭にきて目をつけられて……。もうさ、その繰り返しだったからね。だからもうちょっとこの人の性格とかを分かってあげていれば、もしかしたら生涯のイエローカードも半分くらいで済んだんじゃないかな。

忘れられないのが、1978年1月14日、西が丘でやったJSL二部の読売クラブ対日産自動車の試合で、1年間の対外試合出場禁止処分を受けてしまった。あの一件もちゃんと試合を見てた人からしてみれば、「なんであれで1年間も出場停止になるんだろう?」って疑問に思うような感じだった。みんながブラジルからきた選手たちに対して、もうそういう目で見ている時代だったからね。それに対して誰も何も言わなかったし、審判委員会が決めたことだから何も言えないし……。

 

C_198410271984年10月、日本サッカーリーグ、読売クラブ対三菱重工戦

でも、西ヶ丘のあの一件は「そうかなあ?」ってずっと腑に落ちなかった。僕は現場で見ていたんですが、お互いに激しい接触プレーでやりあって倒れた後、日産の選手を「追いかけた」というよりは、ピッチの外に出てベンチの方に戻ろうとした相手選手の後を「トットットット」って感じでついていって、そこで相手は逃げなきゃいいのに、ラモス選手の方を振りかえって、なにかやり返されると思ったのか、「ダァー」って走っていった。でもラモスはそのままの調子で、相手もいなくなったところで「トットット」って同じようにベンチの方に戻ってきた。それで接触プレーの警告と相手を追いかけた行為で2枚目の警告を食らって退場になってしまった。

この現場を見ていた数少ない目撃者からすると、「3試合くらい出場停止になるかな。でも処分としては結構重たいし、読売クラブもラモスも大変だなあ」って思ってみていたら、1年間の対外試合出場禁止の裁定が下って、ちょっと厳しいすぎるんじゃないかなって。でもフェアプレーの精神からすると、それは言っちゃいけないんだよね。ブラジルからの助っ人とか、企業の母体を持たない新興のクラブチームとか、いろんな意味でそういうところへの風当たりは強かったのかもしれません。

 

日本代表歴代ベスト11の「10番」はラモス

こんなエピソードがあるから、選手や記者やなんかでも「怖いのかなあ」って思うだろうけど、やっぱり人懐っこいからみんなに人望もあるし、つきあっている人たちともみんな仲良くやっているし、今もメディアからの引き合いは多い。でも本当になんていうんですかね。「ブラジル代表になる!ブラジル代表になる!」って、来日した最初の頃は言ってたけど、逆に今はもう日本人が忘れた日本人の魂を本当に持っていますよね。そこはすごいなと思ってみています。そういう生き方こそ、自分がこの地で生きていくのに相応しいって理解しているんでしょうけど、面白いですよね。彼の生き方も、彼が日本のサッカーについて喋っていることも面白いし、日本代表の歴代ベストイレブンを選べって言われれば、真ん中の「10番」に絶対入れたい選手ですよね。

 

D_199401161994年1月Jリーグチャンピオンシップヴェルディ川崎対鹿島アントラーズ戦

Jリーグ開幕時の最大の功労者

ところで、Jリーグも25年たって、開幕当初は「Jリーグバブル」なんて言われもしましたが、そんな凄まじい盛り上がりになった最大の功労者のひとりでしょうね。カズさんとラモスさんは絶対に外せない。やっぱり今となっては、なんだかんだで読売クラブあってのJリーグ開幕だったんじゃないかなと思います。

あれだけのスター選手たちを揃えて、日本サッカーリーグの時もそうでしたけど、誰がなんと言おうと読売クラブの試合は面白かった。「面白い」っていうのは彼らのサッカーに明確な「個性」があったわけで、「個性」っていうのはサッカーに対する考え方や見せ方、表現の仕方なんですけど、そういう面でものすごく選手中心的なところがあったし、なおかつ、選手個人のテクニックが高かったことで、それをお客さんに「みせる」ふたつの「み」──「魅力の魅」と「見せるの見」──が見事に合体した。

 

E_19931025_KOR1993年10月25日ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、韓国戦

そういう「魅せる=見せるサッカー」を体現してくれたラモスさんのプレースタイルですが、たぶん日本に来てからでき上ったと僕はみているんです。20歳くらいの若い頃に来日しているから、この人のキャラクターとかサッカーセンスみたいなものは、日本に来てから磨き上げられたものだと僕は思っています。

 

F_19931028_IRQ11993年10月28日ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、イラク戦

ドーハの悲劇

ドーハの悲劇の時、試合が終わったあと、力尽きてしまって、ピッチに座り込んでしまった彼の背中が、もう本当に背中だけポンってある写真を撮ったんですけど、悲しげなのがありありと分かる写真があって、もうあの時は試合の後に声もかけられなかったですね。この人の場合は負けたときはそっとしておくのが一番なんです。勝ったときはもうなにも言わなくても向こうから寄ってきてくれるから。

 

G_19931028_IRQ21993年10月28日ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選、イラク戦

今はラモスさんもすっかり日本人ですけど、海外からやってきた選手の中で、これだけ嫌われて、だけど、これだけ愛された選手はいないですね。もちろんこれだけ長くやって来たってこともあるけど、ずっとこの人だけ見てきても、この人の半生がどうだったか、一本映画が作れそうな感じがします。

 

木村和司さんと一緒にプレーしたかった

当時、木村和司さんも読売クラブに入るっていう選択肢があったんだけど、まだアマチュアの時代だったし、読売クラブに行くことで別の仕事も持たないといけないこともあってか、それにその頃はもう日産自動車もほとんどプロ契約みたいな感じで選手を入れてましたから、最終的には日産を選んだ。そしたら和司さんと一緒にやりたがっていたラモスさんが心底悔しがって、日産との試合になるとギンギンに和司さんのことをライバル視してハードマークしていた。そうすると和司さんが音を上げて「もうええやろ!」って怒ったりもしたんだよね。

本音を言うと、一緒にプレーしたかったんだ。そのくらいいっしょにやりたかったんですよ。その彼が日産に行っちゃったっていうのが悔しくて悔しくて、でもそれはしょうがないよね。読売クラブに行ったら他に何か仕事も見つけないとお金を稼げないし、どこかに就職をしないといけなかったわけで。でも確かに、ふたりが中盤で一緒にプレーしているところは見てみたかった。

 

H_199407301994年7月30日Jリーグヤマザキナビスコカップ、ヴェルディ川崎対ジェフ市原戦

これだけ愛された選手はいない

いやでも、本当によかったです。盟友の加藤久さんと一緒にラモスさんサッカー殿堂入りができてよかったなあと思って。これだけ愛された選手はいないだろうし、これだけ憎まれた選手もいないでしょう。「憎まれた」っていうのは対戦相手からっていう意味ですけどね。つまり、ラモス選手を止めないと、読売クラブやヴェルディは止められなかった

 

だから、僕もいい時代に、ラモスさんと一緒に、こうやって日本のサッカーの進歩を見ることができてよかったなって思います。

2018/09/26

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

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