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今井恭司のサッカー千蹴写真館

ラモス瑠偉 ‐ サッカー殿堂入りした日本の10番(前篇)

1994年8月6日Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝の表彰式。左は柱谷哲二選手

1994年8月6日Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝の表彰式。左は柱谷哲二選手

この写真は、1994年8月6日Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝でヴェルディ川崎がジュビロ磐田を下して3連覇を達成した表彰式のラモス瑠偉選手と柱谷哲二選手です。

環境や状況にあわせた順応性の高さ

ラモスさんは、選手としては言うまでもなくすごくいい選手でしたけど、私が一番印象にあるのは、順応性がすごく高かったことですね。順応性が高くないと、サッカーだけじゃなくて、うまく周りに溶け込んでいけない。特に日本みたいなところに来た時には、みんな何を考えて、心の中で本当はどう思っているんだろうってことをしっかり理解して、自分の頭の中でうまく消化して、いろんな環境や状況に順応していったというのはやっぱりすごいなと思います。

 

それと関係してるかどうかわかりませんが、以前よく母親の話を聞いたりしたんだけど、とにかく教育熱心な母親で、とにかくちゃんと勉強しなくてはいけないって言われて育ったらしい。だからいろんな意味で頭がいいんだと思います。

 

B_1979_19801979~80年頃の読売クラブ対ヤンマー戦のラモス選手

負けず嫌いと人懐っこさ

ラモスさんってサッカーをやっている時と、サッカーからパッと離れて生活している時のギャップがこれだけ大きい人っていないよね。サッカーをしている時はとにかく負けず嫌いですから、もうガンガン行って対戦相手を削ったりするのに、サッカーが終わって普段着に着替えると、ものすごく低姿勢で「やあ!どうも!」って。相手の名前もよく覚えているし、如才ないし、誰とでもうまく話ができる。いや、これ、さっきの試合と同じ人か、これだけ性格が変わるのかって思うくらい、そういうメリハリがちゃんとできるから、サッカーもああいうふうにできるんだろうなって思いますね。

 

C_199305151993年5月15日、Jリーグ開幕戦のヴェルディ川崎対横浜マリノス

試合が終わったあとで、結果が思うようにいかなかったら、絶対に握手なんてしなかったりするじゃないですか。でも競技場を離れて外で会ったりすると、どんな人でも「いやーこんにちは!」って必ず両手を差し出して握手したりするんです。ここのギャップが面白いなっと思ってね。

 

だからすごく人懐っこいっていうのと、すごく相手をリスペクトもする。ただ試合になったら、もう味方にだってガンガンあたる。「お前、なにやってんだ!」って。でも試合が終わったらもうニコニコ。ここがやっぱりすごい。こんなに切り換えが素早いのと、状況に応じたパーソナリティを出せる人っていないですね。

 

帰化して日本代表へ

D_199106091991年6月9日キリンカップサッカー'91トッテナム・ホットスパー戦

この写真は、日本に帰化してから、横山謙三監督時代に初めて日本代表に選ばれた頃で、当時34歳でした。この人も現役生活が長かったじゃないですか? 日本代表としてドーハで戦っていた時が36歳っていうのがすごい。FIFAワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選は、全5試合にフル出場だった。逆にいうと、ハンス・オフト監督率いる日本代表には36歳のラモス選手に代わる中盤の人材がいなかったともいえるけど……それだけ替えがきかない存在だった。やっぱり彼のプレーはすごかったよな。

 

E_19931021_PRK1993年10月21日、ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選北朝鮮戦

90分間攻めて、走って、守る

自分がちょっとミスったりなんかして、対戦相手にボールを奪われたりでもしたら、もう地の果てまで追いかけていきますからね。ものすごいスピードで「ガアー」っていって、ボールを取れないとなったら、「パーン」ってスライディングをかませてボールを奪おうとしますからね。

 

最近の若い人たちは「ラモスって、どうせ攻撃だけで、守備は全然しなかったんだろう……」って思うかもしれないけど、こんなに90分間攻めて、走って、守備に回った時にボールを奪い返す執念を持った選手はいなかった。やっぱり勝負師だよね。こんな選手は日本にいなかったもん。

 

F_198804161988年4月16日、読売クラブ対古河電工戦で奥寺と宮内に挟まれるラモス

日本で見たこともなかったサッカー

とにかく走るし、とにかくうまかったけど、どんなプレーが一番すごかったかと言えば、言葉はちょっと悪いけど「おちょくる」っていうか、相手をイラつかせたりとか、そういうのには長けていましたよね。それで相手選手がシビレを切らせて、足元に「ダァー!」って来たところを「カカァーン!」っていって、「サササッ」と相手の背後を突く、とかね。それまでこういう選手がいなかったからっていうのもあるけど、日本で見たこともなかったタイプのサッカーをラモスさんと読売クラブ(現東京ヴェルディ)で兄貴分の与那城ジョージさんはしていた。

 

G_19831127B1983年11月27日、フジタ工業を下して念願のリーグ初優勝。ラモスが得点王、与那城がアシスト王を獲得

あとちょっとで試合が終わるっていうような時でも、この間のワールドカップロシア大会のポーランド戦の時間稼ぎじゃないけど、後ろでボールを回しながら、時々「チョコーン、チョコーン」ってリフティングをしたりもして、そこに相手選手が「ガッ」って来たりすると、「クククッ」てまた前に持っていったりして、かと思いきや、また後方に戻したりしながら相手を焦らして時間稼ぎしたりとか、そういうのには本当に長けていましたね。

 

H_198311271983年11月27日、念願の日本サッカーリーグ初優勝。得点王に輝いたラモスの胴上げ

後篇につづく

 

2018/09/19

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

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