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今井恭司のサッカー千蹴写真館

中山雅史 ‐ 男気のストライカー

ヤマハ発動機時代の中山雅史選手

ヤマハ発動機時代の中山雅史選手

この写真は、中山雅史選手が1990年にヤマハ発動機に入社して、Jリーグに入るか入らないかっていうくらいの頃に、雑誌の特集で撮影したものです。

ヤマハと一緒にJリーグを目指します!

ゴンちゃんこと中山雅史選手は、筑波大学からヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)に進みましたが、1991年にJリーグ開幕10チームの選考にヤマハ発動機が漏れてからも、そのままチームに残りました。ちょうどその頃、ヤマハ発動機の練習場へ取材に行った時、ゴンちゃんはハッキリと「僕はヤマハと一緒にJリーグを目指します!」ってがんばってやっていました。

 

Jリーグに参入ができなくて、他のJリーグクラブからのオファーもあったようでしたが、それを蹴ってヤマハ発動機に残留した。あの時は結構「男気があっていいな!」ってみんな言ってましたよね。ゴンちゃんはチャラチャラしているようにも思われがちですが、実はそんな男気溢れる選手なんです。

 

本人としては、サッカーどころの静岡から、ヤマハ発動機ではなくて清水エスパルスがJリーグの開幕10クラブ(通称オリジナル10)に選ばれてしまって、そこで少なからず挫折は感じていたかもしれませんが、よそのクラブにいかないでヤマハ発動機に残ったのが結果的に良かったわけで、残ったことによって周りの人たちに「ゴンはすごい、ゴンは偉い」って思われるようにもなったわけです。

 

高校時代は、藤枝東高校のストライカーとして高校2年の時に全国高校サッカー選手権大会にも出場してベスト4にも進出しました。筑波大学では井原正巳さん(現アビスパ福岡監督)と同期で、ディフェンダーでコンビを組んでいたこともあったらしい。

 

ヤマハ発動機に進んだ1990年、横山謙三さんが日本代表監督だった時の第1回ダイナスティカップで日本代表メンバーに選ばれた。「なんだかうるさいやつが入ってきたなー」って思ったけど、残念ながらあんまり試合に使ってもらえなかった。日本代表は、7月27日韓国戦に敗れ、29日中国戦にも敗れてしまった。

 

そして最終戦となった31日北朝鮮戦でゴンちゃんは日本代表にデビューしました。後半最後の方でちょっとだけ使ってもらった程度でしたが(83分に永島昭浩選手と交代出場)、その頃からうるさいやつではあったんですけど、にぎやかでチームのムードメーカー的な役割を果たしていました。

 

ゴンちゃんを見て「すごいな」って感じるのは、着実に、一歩一歩、階段をいい方にいい方に登ってきた典型ですよね。その時々で、誰と、どう行動したら、自分の徳になるかっていうのを、自分で全く意識することなく、損得勘定もなく、ひたすらその道に邁進していくようなところがある。

 

彼にとって一番良かったのは、カズこと三浦知良選手と出会えたことですね。カズに「ゴン! ゴン!」って言われながらも、いつも二人で仲よくくっついて、オチみたいなことをゴンちゃんが言ったりするのがとてもマスコミに受けた。それがまたどんどんポジティブに受け取られて、メディアの反応もとてもよかった。うるさくて賑やかな性格ではあったけど、最初はそういうタイプじゃなくて、意外と繊細なところもあったはずなんですが……だからカズと出会えたのがたぶん一番よかったのかな。

 

全力で、ガムシャラに、泥臭く

もちろん筑波大学を出て、ヤマハ発動機に進んで、やっぱり磐田で遊ばずに、というか遊ぶところもそんなになかったから、ストイックなまでに、ひたすらサッカーの練習に打ち込んだことで、ひとつひとつ着実に成長を遂げていった選手だったと思います。

 

決して優れたテクニックがあるとか、人並み外れた高さやパワーがあるとか、ドリブルで相手ディフェンダーを何人も抜き去ってゴールを決めるような、そんな華麗なサッカースタイルじゃないじゃないですか。見た目も何が特徴的かっていっても、決してきれいなプレーじゃないし、もうともかくいつも全力でガムシャラに泥臭くボールを追って、身体ごとボールをゴールに捻じ込むような選手でしたけど、でも彼のプレーをみている人たちの心の奥深くに何かを残すような、そんな印象深いプレーを何度も何度も見せてくれました。

 

それに加えて、試合が終わったあとに、ゴール裏のサポーターたちに向かっていろんなパフォーマンスを披露したりとか、「ゴンダンス」を一緒にやったりとか、そういうプレーとはまた違ったところでも、どんどんどんどん知名度を上げていった。大事な試合に負けたりなんかして、サポーターの目に触れないところでチームメイトがしょぼーんとした時でも、ロッカールームで「おおおぉぉぉ!」とか言いながら、そんなムードメーカー的なところもすごく重宝されていて、きっとここまで生き残ってきたんでしょうね。

 

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1998年6月、ジャマイカ戦の中山雅史選手

 

ワールドカップでニッポンの初ゴール

1998年FIFAワールドカップフランス大会に行く前に、Jリーグで4試合連続ハットトリックを達成した(6節C大阪戦で5点、7節広島戦で4点、8節福岡戦で4点、9節札幌戦で3点を上げて当時のギネスブック記録に認定された)。あの頃は本当に乗っていた。なんであんなによかったのかな……まさに神がかっていました。ジョホールバルの時もそうだけど、なんかが憑いていたんでしょうね。

 

この1998年はたぶん人生の中で一番いい年だったんでしょう。身体もキレキレだったし、いい時にいい星が巡ってきて、ジャマイカ戦で日本代表のワールドカップ初ゴールを決めて、歴史に残る選手になったわけですから。現役でワールドカップに出られるかどうかっていうのは星回りもありますからね。

 

例えば、藤田俊哉選手や久保竜彦選手のように、あれだけ活躍したにもかかわらずワールドカップには出場できなかった選手もいるわけで、そういう意味では選手としてのいい巡りあわせが、ちょうどワールドカップの時期に重なった。現役生活の中でもいい具合に最高のパフォーマンスだった。だから本当に強運ですよね。

 

泥臭く一生懸命ボールを追いかけながら上り詰めてきて、一番良かったピークの時がワールドカップ初出場の1998年で、その年のJリーグアウォーズ最優秀選手賞も獲得した。もちろん持って生まれた星回りが良かっただけでなく、周りにいろんないい人や助言者がいて、彼らの献身的なサポートもあってここまで来れたのでしょう。

 

だって日本代表ではずっと完全なレギュラーだったわけじゃなかったですから。むしろどちらかと言うと、スーパーサブ的な扱いだった。ハンス・オフト監督の頃もそういう位置付けだったけど、いつの間にか彼の活躍が認められて、試合のアタマから使われるようになった。1993年ドーハの最終予選時も、最初は「アジアの大砲」高木琢也選手とカズの2トップだったけど、それがカズと中山と長谷川健太の3トップ的な布陣になった。この時もスーパーサブ的な役割から最終的にはレギュラーポジションを獲った。

 

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1998年Jリーグアウォーズで最優秀選手賞を獲得した中山雅史選手

 

ゴンちゃんの持って生まれた資質

ゴンちゃんを見てると、何がここまで人を成長させてくれるんだろうかっていったら、やっぱり人なんですよね。だからプレー自体は、確かに上手くなけりゃいけないけれど、周りとどれだけ上手にやっていけるかっていうのは頭で考えて出来るもんじゃなくて、持って生まれた才能っていうかどうかわからないけど、資質なんですよね。「コミュニケーション能力」とかいろんなことを言いますけど、やっぱり持って生まれた彼の資質っていうのがよかったんだろうなとは思う。

 

ゴンちゃんのお父さん(中山儀助さん。農業を営みながら岡部町町議会議員を務めた)をみてると、こういう親の元でいい子が育つんだなとしみじみ思いました。マスコミに好かれる部分は、彼の機敏さっていうか、プレーよりそっちの方がものすごく長けてるところもあった。こう聞かれた時にはこう言おうとか、間髪いれずにパッパッと印象的な言葉が出てくるところとか、それがマスコミ的にはすごくうれしいところで、「おおっ!」とかっていつも感心して、そういうアタマの良さだけでなく回転の速さもうまい具合に兼ね備えていた。だからここまで長く生き残れたのかなって思う。

 

同じようにやはりカズをはじめ、仲間たちからもなんだかんだで慕われた。仲間たちからの信頼がないとタマがきませんからね。やっぱりいい時代に生まれたっていうのと、一番いい年回りの時にワールドカップのような大きな大会に巡り合わせたっていうところが大きいですよね。

 

アスルクラロ沼津で現役復帰

コンサドーレ札幌に移籍した時に、もう引退してもいいのにと思ったのは、恥骨炎とか膝間接の故障はいつ痛くなるかわからないし、自分が思うような全力疾走は満足にできなくなってしまったように見えたから。でも、2015年にはアスルクラロ沼津で電撃的に現役復帰を発表したから、また公式戦でピッチを走るゴンちゃんがみられるといいんだけど、本当にまた試合に出たいんでしょうね。

 

ところで、彼がコーチングライセンスを持っているのかどうか分かりませんが、武田修宏さんもそうでしたけど、この先ベンチで指揮をとるゴンちゃんの姿を見ることができるのかどうか……。彼らみたいな選手としての実績があるOBたちは、それほど下積みをしなくてもいいから監督をやってほしい。こういう知名度のある人たちは早い時期に監督をやってもらった方がいい。もちろん、早すぎて経験不足でダメってこともあるけれど、そういう中で、彼らが実績を残すひと握りになって欲しいと願っています。そうすることで、日本人の監督やコーチの年俸がもうちょっと良くなってくるんじゃないかな。

 

というのは、高額な年棒で外国人を連れてくるそのお金を、日本人選手やスタッフにも払えないものかどうか。日本人の監督たちは果たしてそれに見合う報酬をちゃんともらっているのか。ちょっと不思議な感じはします。知名度のある選手が監督にのし上がって、実績も残す。そういう指導者がいることによって、若い子たちがそのクラブに入ってきたりもする。知名度のない指導者のところだと少々腰が引けるけど、自分が見てきたり応援してきた監督から「絶対にうちにきてよな!」って言われたら、そりゃ行きますよね。そういう求心力もすごく大事だと思う。

 

そういう意味でいうと、若い監督も重要だし、ベテランの域に達している監督もそれはそれでずっと指揮を執り続けるっていうのもまたいいんです。そういう多様性のあるリーグの中で切磋琢磨しながら、いろんな監督がいた方がいい。だから、彼らのような知名度がある人が、ある意味指導者にいた方がいいと思うんです。だから、現役生活を続けたい気持ちもわかるけど、いつかどこかで監督をやってほしいんですよね。

 

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2001年、AFC/OFCチャレンジカップ試合後の中山雅史選手

 

2018/5/30

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

次回は2018年6月6日(水)の予定です、お楽しみに!

関連情報

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