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今井恭司のサッカー千蹴写真館

西野朗 ‐ プレッシャーと逆境をはねのける監督時代

1998年、柏レイソル監督時代

1998年、柏レイソル監督時代

西野朗さんの監督としてのキャリアは、1990年に日立製作所(現柏レイソル)で現役を引退後、1991年からU-20日本代表監督に就任したことから始まりました

28年ぶり悲願のオリンピック出場

このU-20日本代表が、のちに1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得して以来、28年ぶりとなる悲願のオリンピック出場を果たしたアトランタオリンピック代表の世代でした。実は当初、監督としてこのチームの面倒を見ていたのは永井良和さんでしたが、西野さんと同じ埼玉県浦和市(現さいたま市)出身だったことから、最初は「手伝ってよ!」って感じで西野さんに一緒にやろうと声をかけてコーチを依頼して、その後永井さんに古巣のジェフ市原(ジェフ千葉)から監督のオファーがあったため、あとは任せたって感じで、コーチの西野さんがそのまま永井さんから監督を引き継いだとうかがったことがあります。

 

もう二十何年もオリンピックに出場していなかったし、前回のバルセロナオリンピックアジア地区予選も、澤登正朗、相馬直樹、名波浩、永井秀樹、三浦文丈、神野卓哉らを擁したにもかかわらず、アジア地区最終予選は1勝1分3敗、参加6カ国中5位で敗退したこともあって、日本サッカー界の悲願ではありましたが、このアトランタオリンピックのアジア地区予選も突破するのは相当厳しいんじゃないかと、なかなか現実味を持つことができない雰囲気が当時はあった。

 

このアトランタオリンピック代表チームはすごくいいチームでしたが、前園真聖中田英寿城彰二伊東輝悦、服部年宏、川口能活ら個性的なメンバーが多くて、まとめるのは大変だったと思います。最終予選直前合宿の練習中の怪我でエースの小倉隆史を欠いたうえ、初戦のイラク戦ではキャプテンの前園選手が累積警告で欠場のところ、中田選手を起用した。それが最終予選を通して見事に当たっただけでなく、代役以上の存在にもなった。最終予選のグループリーグを首位で通過して、準決勝で対戦したサウジアラビアを2対1で下して、28年ぶりのオリンピック出場権を見事に獲得した。

 

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準決勝でサウジアラビアを下した試合後の監督会見

 

マイアミの奇跡

さあ! って本大会のマイアミに行ってからも、28年ぶりのオリンピックの初戦は、本気で金メダルを取りにきているブラジルで、リバウド、ベベット、アウダイール、ロベルト・カルロス、サヴィオ、ジュニーニョ、ロナウドなど錚々たるメンバーで、監督はマリオ・ザガロ。さすがにこんなのは……っていってたら「マイアミの奇跡」を起こした。その後、この大会で金メダルを獲得したナイジェリア、そしてハンガリーを相手にして2勝1敗でグループリーグを終えたものの、得失点差で決勝トーナメントには進めなかったのは皆さんもご存じの通りかと思います。

 

このアトランタオリンピックの予選でも本大会でも、西野さんにはプレッシャーは相当あったと思います。でも日本中が「たぶん今回も予選突破は厳しいんじゃないか」とか「ブラジル相手じゃさすがに無理だろう」って悲観していた中、そういう戦前の予想を見事に裏切ってくれた。日本のサッカー界が世界を相手にした時、「もしかしたら行けるんじゃないか」とか「強敵だけどなんとかなるんじゃないか」って僅かながらも思い始めたのは、この頃からだったんじゃないかな。この大会後、「守備的すぎる」とか「将来性がない」とか指摘されましたが、ある意味28年ぶりに世界の檜舞台で強豪国を相手に真剣勝負を挑んだこの大会の戦い方は、当時の日本のサッカー界に一石を投じたようにも感じます。

 

選手とのコミュニケーション

西野さんが監督になってから選手時代と大きく変わったのは、当たり前だけどみんなの前で話さないといけなくなるから、やっぱり話がすごく上手になりましたね。選手の時はシャイであまり喋らなかったけど、監督になったら選手やメディアの前で話さないといけなくなる。その辺はみんなそうで、木村和司さんもその典型だけど、あれほど喋りベタだったのが、もうホントに饒舌に話すようになるから、人って変われるんだなって思った。

 

西野さんも一緒で、学生の頃の彼を知ってるからわかるけど、これはもう訓練の賜物なんでしょう。監督になるといろんなところで叩かれたりもするし、いい時ばかりじゃないけれど、100%自分の考えを出すんじゃなくて、ちょっと隠さないといけない部分があったりとか、そういうところもどんどん抜け目なく話すことができるようになっているように思えます。

 

今回の西野さんの日本代表監督就任に関して、「どう?」ってみんな聞きに来るけど、ここで変えた方が1%でも2%でもよくなるなら、その価値はあると思うし、必ずしも悪くなることはないんじゃないかと思います。選手と上手にコミュニケーションをとるのはもちろん大切なことだし、以前と違って多くの選手たちがヨーロッパでプレーしたり、いろんな経験を積んだ選手たちがいるから、具申っていうかなんでも意見を交換しあって「こういうのはどうでしょう」とか「こうやったらどうだろうか」とかっていうアイデアを受け入れることも出てくると思います。

 

それを監督としてただ聞いてあげるっていうことだけじゃないけれど、そういう話を聞いたり、「そこはこうだからこういうふうにやりたい」ってコミュニケーションをお互いがとらないと、実績のある選手たちをまとめるのはこれからはどんどん難しくなると思う。お互いの意見を聞く耳持たないってやっていたら、さらに難しくなってしまう。そういう意味では適任だったんじゃないでしょうか。

 

こと選手たちからの評価っていう意味では、この人に限っては悪口っていうか悪評は聞いたことがない。西野さんの場合は、話している理論と実践していることがちゃんとあっているんだと思います。それを選手たちにキチンとわかるように話しているから、選手たちにも受け入れられているのではないでしょうか。

 

それにしても、この2018年、平昌オリンピックで本当に日本中がワイワイガヤガヤ盛り上がってて、でもサッカーに関してはFIFAワールドカップロシア大会があるっていうのに、みんなの話題にもならなかったところにきて、開幕まであと二か月っていう時に、監督交代となって突然騒々しくなってしまった。

 

それだけに、西野さんにしてみたらものすごいプレッシャーだと思う。でもまあなんにもないところでこの重責を引き受けるよりは、これだけ厳しい状況でやった方がいいと思うのは、彼がプレッシャーに非常に強い監督だからでしょうか。選手時代に早稲田大学と日立製作所で鍛えられた忍耐力で、この難関をきっと乗り切ってくれるでしょう。

 

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アトランタ五輪ブラジル戦のベンチ

 

いよいよロシアへ!

2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会の前も、直前の強化試合は4連敗(4/7セルビア戦5/24韓国戦5/30イングランド戦6/4コートジボワール戦)で、当時の岡田ジャパンに対しては非常に厳しいマスコミの評価だったことに比べれば、その時よりはいいかなと思ったりもします。南アフリカでの大躍進については皆さんもご存じの通りです。

 

僕はすごく期待しています。アトランタオリンピックの時も「まさかなー」と思っていたけど、本当に「マイアミの奇跡」から「ロシアの奇跡」になってもらいたい。南アフリカ大会のように絶対にグループリーグを勝ち抜いて、今のマスコミの下馬評を覆して欲しい。1勝1敗1分くらい。あわよくば2勝。でも戦う方も応援する方もそのくらいの意気込みでいかないとダメですよね。

 

2018/5/9

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

次回は2018年5月16日(水)の予定です、お楽しみに!

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サッカー写真の第一人者である著者が40年にわたって撮影してきた膨大なカットの中から、歴代日本代表選手の写真をメインに厳選。メキシコ五輪後の低迷期から南アフリカW杯出場に至るまでの軌跡を、釜本邦茂・奥寺康彦・木村和司・三浦知良・中田英寿・中村俊輔といった各年代の名プレーヤーの秘蔵写真とともに著者の回顧録を交えて振り返ります。巻末収録の「釜本邦茂×今井恭司スペシャル対談」も必読!

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