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今井恭司のサッカー千蹴写真館

金子久 - 段違いのパワフルディフェンダー

1987年4月、ソウルオリンピック予選シンガポール戦の金子久選手

1987年4月、ソウルオリンピック予選シンガポール戦の金子久選手

この写真は、1987年4月12日国立競技場で行われたソウルオリンピックアジア地区予選シンガポール戦に出場した金子久選手のパワフルなヘディングシュートのシーンです。

森孝慈監督から石井義信監督へ

1985年11月、FIFAワールドカップメキシコ大会アジア地区最終予選の韓国戦に敗れた日本代表は、森孝慈監督から石井義信監督にバトンタッチされて、次の目標はメキシコオリンピック銅メダル獲得以来20年ぶりとなる1988年のソウルオリンピック出場だったわけですが、1985年に日本サッカーリーグで二度目の優勝を果たした古河電工(現ジェフ千葉)のメンバーだった金子久選手は、1986年から87年にかけて日本代表にも招集されてディフェンダーとして活躍されました。

 

今はもう手元に写真が残っていないのですが、帝京高校の選手として全国高等学校サッカー選手権大会に出場した時に、ディフェンダーの金子さんが最後尾からグーッと前線に上がってきて、相手のゴール前でヘディングシュートをしたんです。そしたら本当にもう、「あんな写真は二度と撮れない!」ってくらいですが、サッカーボールが金子さんの頭にめり込んで、それがもうそのまんま写真に写っていたんです。その写真も出版社か新聞社か誰かがどこかに持っていってしまって、そのまま帰ってきていない。確かサッカー専門誌で印刷ページにはなっているはずなんですが、そのヘディングの瞬間はもう本当にすごかった。

 

 

帝京高校三羽烏として活躍

帝京高校時代、金子さんは早稲田一男さん(古河電工→日章学園高校監督)、宮内聡さん(古河電工→日本女子代表監督→成立学園高校総監督)と共に「帝京三羽烏」と言われていましたが、彼らと古河電工に進んで、1979年には日本で開催されたFIFAワールドユース選手権大会にも出場しました。

 

金子さんはあの頃から体型は変わってないですからね。こういう体型で、廻しをつけたらもう相撲取りだよね。柔道でもレスリングでも格闘技ならなんでもいけそうだけど、これでジャンプ力が結構あるから、大抵の対戦相手はまともにぶつかったら跳ね飛ばされるに決まってる。

 

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1987年4月、ソウルオリンピック予選シンガポール戦の金子久選手と堀池巧選手

 

このアングルだと堀池巧選手(現順天堂大学蹴球部監督)がスマートにみえること! この写真からもわかるように、ジャンプ力もあるんです。一概に日本人で体格の大きな人は、ジャンプ力はあまり期待できなかったりするけど、彼はそんなことはなかった。そういう意味でも身体能力はすごかった。スタンドからだと、とてつもなく大柄に見えたけど、実際に会ってみるとそれほど背丈はなくて、180cmあるかないかくらいなんです。高校生の時からこの体型ですからね。もうびっくりポンですよ、本当に。

 

ヘディングの金子

金子さんのヘディングは本当にピカイチでした。日本人で頭に当てたボールがあんなに「キューッ!」って飛んでいくのは、僕が知っている限りでは、あとは釜本さんくらいしかいなかった。当時大概の選手たちのヘディングは、インパクトのあと「フニョー」ってなるもんだったけど、釜本さんと金子さんのヘディングはそうならないんですよ。

 

当時ヘディングでならした選手といえば、古河電工の川本治さんや三菱重工の原博美さんもうまかったし、今の日本代表だと槙野智章選手吉田麻也選手もヘディングは強いけど、彼らは元々高さがあるからね。日本人ってやっぱりヘディングがあまり上手くないのは、ボールを頭で受ける時のスピードより強くは打ち返せないんだよね。なんとか跳ね返すくらいだから。欧州や南米やアフリカの選手たちって、頭に来たボールよりもっと強く「ズドーン!!」ってヘディングできるじゃないですか。まるで足で蹴ったように跳ね返すけど、日本人のヘディングってどうしてもそうならないんだよね。そういう意味でも、金子さんのヘディングは貴重だったんです。

 

ヘディングのインパクトの時の身体の使い方もディフェンダーじゃなくて、もうストライカーのシルエットだよね。今は体脂肪率だなんだってうるさいし、こういう体型だと試合にも使われないような気がします。あまり記憶にないけど、Jリーグにいた選手だと、「デカモリシ」こと森島康仁選手(栃木ウーヴァFC)とかかな……。デカモリシと比べてももう一回り大きかった感じはします。いや、ホントにこの人のヘディングはすごかったんですよ! ヘディングでボールを跳ね返すと地鳴りのようなどよめきも起こった。

 

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1987年4月、ソウルオリンピック予選シンガポール戦の金子久選手のフリーキック

 

フリーキックの金子

金子さんはフリーキックを蹴らせてもすごかった。金子さんがボールをセットしてフリーキックを蹴る前はスタンドがなんだかザワザワした。ジェフ千葉や清水エスパルスで活躍したエディ・ボスナー選手が蹴る前みたいな感じ……ってわかりますかね? もうパワー全開で蹴るフリーキック! 相手選手も怖いから顔を背けて避けてしまう。もうこれじゃ壁でもなんでもない。でもこんな体型の人が「ドカーン!!」ってフリーキックを蹴るってなったら、壁の選手は嫌だよね。逃げたくなる気持ちもわかる。

 

金子さんの日本代表歴は、ソウルオリンピック予選の1986年と1987年の二年間で、国際Aマッチ出場は7試合。Jリーグが始まる前に引退されたのも惜しかった。古河電工では主に岡田武史さん(FC今治代表)とディフェンスラインを組んでいました。頭脳派の岡田選手とパワー系の金子選手って感じでしょうか。とにかく飛び抜けた体格と身体能力を持ちあわせて、代表試合数は少なかったけど、サッカーファンたちの印象には深く残っているし、見る人に強烈なインパクトを与えてくれました。いまブレ球とかテクニック系が多くなって、パワーキッカーも少なくなくなってしまった。確かにみんな上手になったけど、こんな太い脚の選手いないもんね。

 

そこはオレに任しとけ型ディフェンダー

それに金子さんのような「そこはオレに任しとけ!」って感じの選手もなんとなく少なくなってしまったかな。そういう意味では、ちょっとモノ足りない気もしますよね。みんなが似たような個性になってしまって……。個性という意味では金子さんは突出していたし、ピカイチだった。髭が生えていて、岡田さんの優等生っぽい風貌とはえらい違いなんだけど、とてもいいディフェンスラインを組んでいました。

 

金子さんの愛称「ゴルジ」「ゴルゴン」は、ポーランドのイェジィ・ゴルゴンっていう選手が由来らしいんだけど、僕は正直この選手のことは覚えていない。なんで「ゴルジ」とか「ゴルゴン」っていうんだろうなって思ってました。彼の風貌からして、「ゴルゴ13」からきてるのかとずっと思っていました。

 

2018/4/25

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

次回は2018年5月2日(水)の予定です、お楽しみに!

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サッカー写真の第一人者である著者が40年にわたって撮影してきた膨大なカットの中から、歴代日本代表選手の写真をメインに厳選。メキシコ五輪後の低迷期から南アフリカW杯出場に至るまでの軌跡を、釜本邦茂・奥寺康彦・木村和司・三浦知良・中田英寿・中村俊輔といった各年代の名プレーヤーの秘蔵写真とともに著者の回顧録を交えて振り返ります。巻末収録の「釜本邦茂×今井恭司スペシャル対談」も必読!

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