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今井恭司のサッカー千蹴写真館

武田修宏 - 人を引き寄せる天性のストライカー

1990年7月、第1回ダイナスティカップ韓国戦での武田修宏選手

1990年7月、第1回ダイナスティカップ韓国戦での武田修宏選手

この写真は、1990年7月27日、北京で行われた第1回ダイナスティカップの日韓戦でドリブル突破を試みる武田修宏選手です。

この第1回ダイナスティカップでは、韓国中国北朝鮮を相手に3戦3敗に終わりましたが、武田修宏選手は全試合に出場しました。横山謙三監督の時代には日本代表のフォワードの主力選手として起用されていました。

 

清水東高校から読売クラブへ

武田修宏さんのことは清水東高校の時から知っているけど、飛び抜けてスピードがありました。それに加えてストライカーとしての得点感覚も非常に優れていました。将来日本を代表するストライカーになりうる天性の素質を備えていたと思います。

 

元々浜松出身で、中学時代(浜松市立丸塚中学校)から日本ジュニアユース代表(U-17日本代表)に選出されて活躍していた。高校進学時には、浜松から学区の違う清水東高校に入るのに「なんで浜松の子が清水に入るんだ!」ってひと騒動になったらしい。そのくらい将来有望視された有名選手だった。

 

当時の清水東高校は、大榎克己、長谷川健太、堀池巧の清水三羽烏がいて、1982年度の全国高校サッカー選手権大会で韮崎高を下して全国優勝を果たした強豪高だったし、いい選手たちが集まっていたから、そこでサッカーをしたい気持ちもあったのでしょう。1年生の時に出場した翌年の全国高校サッカー選手権大会では、決勝で帝京高校に敗れはしましたが準優勝に貢献しました。

 

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1983年度全国高校サッカー選手権大会帝京高校との決勝戦での武田修宏選手

 

清水東高校卒業後、読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)に入団した時には、日テレ系の静岡第一テレビに入社してサッカーに集中できる環境を持つことができた。

 

日本サッカーリーグにデビューで年間最優秀選手賞受賞

日本サッカーリーグにデビューした1986-87年のリーグ戦では、11得点でリーグ優勝にも貢献して、年間最優秀選手賞も受賞、そして1987年4月2日、国立競技場で行われた日本リーグ選抜戦で、石井義信監督率いる日本代表にデビュー。それにつづく4月8日、国立競技場でのソウルオリンピックアジア地区予選のインドネシア戦でインターナショナルAマッチに初出場、初得点もあげました。ただ記録を眺めてみると、日本代表としては1得点だけというのが意外だったですね。

 

読売クラブに入って、日本代表にも選出されて、代表デビューした頃はセンセーショナルだったし、華々しいデビューでした。元々清水東高校の時からスター選手だったこともあったし、まだカズがブラジルから帰国する前で、日本サッカーリーグに華のある選手があまりいなかったこともあって、彼のような甘いマスクにストライカーとしての得点能力を兼ね備えていた選手は、マスコミ受けが非常に良かったですよね。特にテレビ受けが良かった。

 

カズが戻ってきてから読売クラブのリーグ連覇にも貢献しました。ただ、主役の座をだんだんとカズに奪われたっていうところも無きにしもあらずで、カズが結果を残してくると、少しずつ脇役になってしまいましたが、でも実業団リーグからJリーグ開幕へ、読売クラブからヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)へと変遷していく中で、日本のトップクラスのクラブで主力選手として長く活躍したのは素晴らしかった。Jリーグ開幕の1993年から三年連続で二桁得点(1993年17得点、94年23得点、95年20得点)としっかり実績も残している(Jリーグ通算94得点。2018年4月現在歴代16位)。

 

ジュビロ、サンガ、ジェフでも活躍

1996年、ハンス・オフトさんが監督に就任したジュビロ磐田に移籍して、彼のスピードを生かしてサイドバックにコンバートしたりもした。その後、京都パープルサンガ(現京都サンガ)やジェフ市原(現ジェフ千葉)にいた時には、再びストライカーとしての実力を発揮しました。名前や人気だけでなく、これだけの実績があると対戦相手は嫌なものですからね。いつなにをやられるかわからない。ディフェンスラインの裏に抜けるのが飛び抜けてうまかったですからね。

 

よく「武田の前にこぼれ球がたまたまきて点を取る」なんてことも言われもしましたが、ボールがこぼれるところにポジショニングをとっていること自体がストライカーとして一番重要な優れた「嗅覚」が備わっている証拠でもあるわけです。

 

ボールも人も寄せつけるストライカー

本当にいい選手でしたよ。それにすごく性格がいいんです。人気選手でも近寄りがたいところが一切なくて、クセがなくて、なんにもしてなくても子供たちから自然に寄ってくるんですよ。アイドルって言ってしまうとあれだけど、ボールだけでなく普段から人が寄ってくるようなストライカーなんです。

 

こんな噂話があって、ある女の子が武田さんとエレベーターで二人きりで乗り合わせて、その女の子がエレベーターから降りてきたら泣きだしてしまったっていうんです。なんでか? 武田修宏と言えば、必ず女の子には声かけるって噂されていたんだけど、そんな彼に声をかけてもらえなかったんだって。でもね、ホントに女の子だけでなく、老若男女を問わずモテる……とは言わないけど、みんなを惹き付ける明るいオーラを醸し出す雰囲気を彼は持っているんでしょうね。

 

こういう性格は、もし彼がコーチとか監督になった場合には必ずプラスに働くと思います。そういうみんなを引き寄せる魅力って指導者には必要な要素だし。ただ鬼軍曹にはなれないだろうな……。

 

あと、欲があるんだかないんだかわからない子だったんですが、おっとりしているっていうか、顔がそういうふうだからみんな騙されるのかもしれませんが、点が取れなければ取れないなりに、人並にやっぱり悩んでいました。全然そんなこと悩まないんだろうなって思われていましたけど。

 

それにトップ選手だった時から、将来どうするかって人一倍考えている子だった。僕は一度彼のアパートに行って、彼の写真を部屋の中で撮らせてもらったことがありますが、 「サッカーはそんなに長くできないから、将来どうしたらいいだろう……」 ってセカンドキャリアのことを常に考えていましたね。そういう意味ではホントに真面目な性格なんです。

 

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1987年4月、ソウルオリンピック予選シンガポール戦での武田修宏選手

 

ピッチからテレビの世界へ

2001年に選手としてのキャリアが終わったあと、すぐに「監督コーチをめざす」って言えばよかったのかもしれないけど、所属しているホリプロでサッカー解説者をしながらタレントさんとしてもテレビで大活躍されているのはご存じの通りです。一般的に言って、選手を引退した後でみんな大変なのは、監督コーチをめざして勉強しようと思うと、現役選手時代のようには稼げないし、一方で普通のタレントとしてテレビに出るのと、スポーツ選手のちょっと延長みたいな肩書きの付いたタレントとしてテレビに出るのとではギャラが違うらしい。だから一度そっちの世界に入ってしまうとなかなか生活は変えられない。

 

武田さんもホントいうと指導者になりたいっていう気持ちはあったんだろうけど、結局背に腹はかえられない部分ってあるじゃないですか。タレントさんとしても持ち前の明るい性格で重宝されるから仕事もどんどん来るし、事務所もいい仕事は入れたいわけで、ある意味、武田さんは芸能プロダクションがサッカー選手を本格的にプロモートしたハシリの人なんですよね。

 

確か引退して間もない頃に、NHKのスペイン語会話講座に出演している時に、すごく勉強していた。 「よくあんな大変な仕事引き受けたね」って言ったら、 「僕だってすごく勉強しているんですよー」って言ってたくらいで、ひょっとしたらサッカーより一生懸命やっていたんだと思う。

 

だから逆に言うと、番組を制作している側やキャスティングする側からすると、とても使いやすい人なんだと思います。だからタレントとしての仕事も途切れずに、ずっと活躍することができる。なんでも喜んでやるタイプだから、使う方からしてみたら本当に使いやすいし、名前と顔が通っているから、視聴者にも好感を持って受け入れられる。

 

本当は境界線をタレント側にやるか、サッカー側に持ってくるか、難しい立場なんだろうけど、こういう人が両立して活躍してくれると、サッカー界としてもとても助かるんじゃないでしょうか。

 

だいぶ昔に、岡野俊一郎さん(元日本サッカー協会会長)がTBSラジオの『こども電話相談室』に出演されていた時に、必ず「サッカーの岡野です!」って言って子供たちから相談に答えていた。それですごく子供たちにサッカーが浸透した部分はありましたから。

 

いつかは指導者として……

こういう人が違った形でサッカー界に舞い戻ってきてくれるとすごくいい刺激になるだろうな。武田さんは今も体形がそんなに崩れてないでしょ? あれはちゃんと普段から節制して体型を維持できているからで、それは絶対にいずれコーチや監督をやりたいっていう意欲がどこかにある、だから常に絞っているんだろうなって、勝手に想像しています。やっぱりそういう意識が高いかどうかですよね。みんないいところは褒めてあげないとね。

 

ジェフ千葉で江尻篤彦さんが監督時代、春季キャンプに臨時コーチとして武田さんが招かれたことがあって、まさに熱血コーチっていう雰囲気だった。ただテンションがあがって怒って選手に指導しても、顔が怒って見えないのが徳かどうかだよね。そういうのも持って生まれたものだから。でも人を引き寄せる力っていうのは買えるものじゃないし、天性のものだから、本人はどう考えているかわからないけれど、やっぱりどこかでサッカーチームのコーチをやってもらいたいなって思うんですよね。

 

武田さんとは今もスタジアムでもたまに会いますね。いつだったか…… 去年か一昨年、朝突然、彼から私の自宅に電話がかかってきたんですよ。 「今井さんのお兄さんって、今井さんにそっくりだね!」 前後関係が全く分からないから「え?」って言ったら、 「今ね、お兄さんが社長やっているところに来てるんだよー」って。

 

どうも私の田舎に旅番組のレポーターで来たらしいんです。私の兄が定年後に宿泊と食事ができる道の駅みたいなところの社長を引き受けた時に、武田さんがたまたまそこにテレビのレポーターとしてやってきた。うちの兄貴もまさか知らないだろうと思って、 「うちの弟もサッカーのカメラマンやっているんですけど……」って打ち明けたら、 「いやーよく知ってますよ! せっかくだから電話してみよう」って電話をかけてきた。だから僕の方がびっくりした。普通の人だったらそこで電話かけてこないですよね? でもそこが彼のいいところなんだよね。

 

彼のそういうところが、たぶんみんなから愛される秘訣なんでしょうね。本当に絵にかいたようなナイスガイなんです。

 

2018/4/18

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

次回は2018年4月25日(水)の予定です、お楽しみに!

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