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今井恭司のサッカー千蹴写真館

日本の元祖フリーキッカー、ミスターマリノス、木村和司

ヤンマー戦でフリーキックを蹴る木村和司

ヤンマー戦でフリーキックを蹴る木村和司

日本代表にはこれまでもたくさんのフリーキックのスペシャリストが出てきましたけど、やっぱりなんといっても木村和司さんが日本の元祖フリーキッカーといってもいいでしょう。

木村和司さんの前にもフリーキックをよく蹴った選手はいますが、こんなに頼りになるフリーキッカーはそれまでにはいなかった。ちょっと大袈裟かもしれないけど、対戦相手からしたら、彼の得意な位置からフリーキックを蹴らせてしまったら、3本のうち2本は決めてしまうようなところがあった。

 

本当に釜本邦茂さん以来だったんですよ。こんなに期待をされていて、結果を出すこともできた選手は・・・。

 

木村和司さんは高校(県立広島工業高校在籍時に全国高校サッカー選手権ベスト4)を卒業後に上京して、明治大学サッカー部に入ったのがよかったと思います(同期には佐々木則夫元日本女子代表監督)。当時はそれほど強豪ではなかった明治大学で、全体練習が終わってからも、とにかくボールが見えなくなるまで好きなだけ練習ができたらしい。

 

木村さんは本当にフリーキックを蹴るのが好きで、最初は壁に人を立てて練習していたんだけど、そのうちに一人いなくなり、二人いなくなり、最終的には誰もいなくなって、それでもフリーキックを蹴り続けていたらしい。 フリーキックの名手になるのも、才能だけではなくて、その裏に隠れた努力をこつこつと積み重ねていたからこそ、これだけの名選手になれたのだと思います。若いころから素質は十二分にあったけど(高校時代にユース日本代表に選出)、そこに胡坐をかくわけではなくて、努力の結果掴んだもので、それは凄いと思います。

 

明治大学在学中に日本代表に選出されて(1979年5月27日ジャパンカップ1979フィオレンティナ戦で初出場)、大学を卒業した1981年に、当時の日本サッカーリーグに進むときは争奪戦のようになったらしいけど、高校の先輩の金田喜稔さんがいて、加茂周監督が率いていた日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部したのも結果的にはよかったと思う。その後、1980年代後半から1990年代にかけて、日産自動車と読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)がいいライバル関係になって日本のサッカーを牽引したのはご存じのとおりです。

 

とにかく天才肌のキッカーですが、日産自動車ではもちろん、日本代表としても、1985年のFIFAワールドカップメキシコ大会アジア地区最終予選の日韓戦のように、一番決めてほしいところでちゃんと決められるのは本当に凄いことだと思います。彼のあとには中村俊輔選手をはじめフリーキックの名手としていろんな選手がいますが、フリーキッカーの先駆けとしては、やはり木村和司さんが一番ですね。

 

木村さんが若かったころ、川淵三郎さんが日本代表監督を務めていた時代、1980年12月に香港で開催されたFIFAワールドカップスペイン大会アジア地区予選では、木村和司(当時の所属は明治大学)、風間八宏(筑波大学)、戸塚哲也(読売クラブ)、金田喜稔(日産自動車)の中盤のプレーを現地のアジアの記者たちが「黄金の中盤」とか「黄金カルテット」っていって、とても評価されたのを覚えています。

 

当時、代表メンバーの若返りを図りたい日本サッカー協会の意向もあって、経験を積ませるために若い選手たちを中心に選手選考をして香港に連れて行った。当時はまだ代表メンバーには早いんじゃないかって言われていて、日本国内では決して評価は高くはなかったし、実際日本からの取材陣も多くはなかった。

 

予選の結果は4試合で2勝2敗(シンガポールとマカオに勝利、中国と北朝鮮に敗戦)でしたけど、アジアでは凄く評価が高かったんです。中盤の4選手のほかにも最年長でキャプテンの前田秀樹さん(当時の所属は古河電工)が当時26歳、副島博志さん(ヤンマーディーゼル)や加藤好男さん(古河電工)に、原博実さん(三菱重工)や山本昌邦さん(ヤマハ発動機)や岡田武史さん(古河電工)もいて、それに都並敏史さん(読売クラブ)は19歳でした。みんな若かったけど、今にしてみると錚々たるメンバーでした。

 

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選手時代の木村さんはとにかく負けず嫌いだった。大事な試合に負けたりすると、コメントをもらおうとしても話してくれなかった。そんな感じで、現役選手時代はどちらかというと寡黙な印象でしたが、でも私がびっくりしたのは、2010年に横浜F・マリノスの監督になってからは、とても饒舌だった。失礼ながら天才肌の選手だと思っていたので、そんなに戦術眼とかがあるとは思っていなかったけど、ものすごく試合や対戦相手の戦力分析が的確でした。

 

一芸に秀でた選手はこういう良い指導者になるんだって思いました。テレビの試合解説もうまいし、立場が変わればできるんだなあってしみじみ思いましたね。現役の時、口数が少なかったのはポーズだったのかもしれないですけど。 今の季節、天皇杯も佳境に入ってきていますが、日産自動車と読売クラブが1983年から1992年までの10年間で、このタイトルを9回も分け合ってきた。その10年の優勝回数は日産自動車が6回で、読売クラブが3回。

 

そういう実績からみても、このころの日産自動車は、木村さんをはじめ、金田さん、水沼貴史さん、柱谷幸一さんなど才能のある選手が揃っていた黄金時代だった。その中でもチームの軸、ミスターマリノスは、やはり木村和司さんだったんです。

 

2017/11/8

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

次回は2017年11月15日(水)の予定です、お楽しみに!

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