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今井恭司のサッカー千蹴写真館

日本代表対韓国戦でみせた釜本邦茂選手のオーバーヘッドキック(1977年3月26日ワールドカップ予選)

1977年3月26日 FIFAワールドカップアルゼンチン'78 アジア地区予選 日本0-0韓国

1977年3月26日 FIFAワールドカップアルゼンチン'78 アジア地区予選 日本0-0韓国

1977年3月26日、国立競技場で行われたFIFAワールドカップアルゼンチン大会アジア地区予選の日韓戦の写真です。

この日韓戦では、西野朗さんはまだ早稲田大学の学生でしたが、当時の代表監督の二宮寛さんによって抜擢されて日本代表として出場した試合でした。石井茂巳さん(古河)や奥寺さん(古河)もいますね。

この試合は韓国を相手にホームで0対0の引き分け。バックスタンドはお客さんでいっぱいですが、観客動員に苦しんだ冬の時代でも、やはり日韓戦だけはそこそこ埋まったんですよ。

それにしても、今にして思えば豪華な布陣でしたね。釜本さんがいて、奥寺さんがいて、西野さんがいて、永井さんや碓井さんや清雲さんもいて・・・すごい! 豪華メンバーだった。

写真でもわかるかもしれませんが、釜本さんはガタイが明らかに他の選手と違っていた。一説によると、全盛期の太ももまわりは78センチだったっていってましたから。僕が測ったわけじゃないけど(笑) 女の子のウエストくらいはあった。洋服屋さんに行くと普通の人の倍の生地が必要だったっていってました。ただバランスが非常にいいから太くは見えなかった。

それと当時『神様 仏様 釜本様』っていう有名な横断幕があって、なんでそういう横断幕ができたかっていうと、ほとんどの試合で彼は得点を決めていたから。そういう意味でもバケモノだったんですよ。国際Aマッチの出場試合数と同じくらいのゴールを決めていますから。

1970年代当時でも、さすがに日韓戦だとメディアの数も多かったですが、普段の国際親善試合は多くはなかった。日本サッカーリーグとかだと本当に数えられるくらいでしたから。

僕がよく話すのは、試合中に自分がカメラを構えているのとは反対側のペナルティエリアでPKが与えられると、カメラをもってダーって一目散に反対側のゴールまで走って行くんですが、それを見てお客さんたちも拍手してくれたりしてスタンドがちょっと沸いたんです。そうするとすぐにはPKを蹴らないで、反対側のゴールにつくまでレフェリーもPKの笛を吹くのを待っていてくれた。

こういう話は、レフェリーの方たちが怒るからあまりできませんでしたが、それで何点くらい助かっただろう・・・。要するにカメラマンもだいたい私一人しかいないことが多かった。

この試合は3月だったから芝生も枯れてますね。当時は6月か7月が養生期間とかで使えなくて、8月にいよいよ使えるとなってもすぐに芝生が禿げてきてしまって、10月頃ちょうどサッカーするにはいいシーズンになってきたと思うともう枯れかかってしまった。

そういう意味では、サッカーをする環境もいまは段違いでよくなりましたね。

 

 

2017/09/6

提供:スタジオ・アウパ

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このコーナーは毎週水曜日の更新です。

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