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ゴールデン旧車倶楽部

【懐カー徹底解剖】1970年代に向けて大きく変貌した日産スポーツの貴婦人「フェアレディZ」

■自動車後進国・日本が作った欧州車に負けないスポーツカー
・モデル名 :日産フェアレディZ432/FAIRLADY Z432
・世代/型式:PS30型
・メーカー名:日産自動車

・搭載エンジン:S20型 1989cc・直列6気筒DOHC24バルブ
        ボア×ストローク82.0×62.8mm 
・最高出力 :160ps/7000rpm
・最大トルク:18.0kg.m/5600rpm
・トランスミッション:5速マニュアル(フロアシフト式)
・サスペンション:4輪ストラット+コイル・独立
・ボディサイズ:全長4115×全幅1630×全高1290mm
・ホイールベース:2305mm
・タイヤ:6.95H14-4PRバイアス
・最高速度:210km/h
・0-400m加速:15.8秒
・車両重量:1040kg
・販売時期 :1969年
・生産台数 :419台

ニッサン・スポーツの代表、フェアレディの歴史は1960年に始まる。が、ターゲットとした市場はあくまで北米だった。まさに、1960年代のオープンスポーツSR311まで、完全に米国市場に主眼をおいて開発した。ところが、70年代に向けてフェアレディは、大きく変貌する。クローズドクーペ、直列6気筒、そして日本だけの特別なマシンが登場する。その特別な1台に触れてみよう。

日産の貴婦人は、北米を見据えて誕生した

 日産を代表するスポーツカー「フェアレディ」の名を冠したモデルは、1960(昭和35年)年1月に初めて登場する。当初「フェアレデー」と記したSPL211型で、輸出専用車だった。個人がクルマを所有することさえ難しかった当時の日本で、スポーツカーの需要が高いはずもなく、メーカーの眼は海外市場、なかでもアメリカに向いたことは当然だった。

nissan_fairlady_212_001写真はダットサン・フェアレデー1200(SP212) 第8回 石和温泉郷クラシックカーフェスティバルにて撮影

その後、SPL212/SPA231/SP310/SP311、SR311へと続く日産フェアレディの歴史は、つねに最大の自動車市場である北米を見て、そこで通用し、かつそのマーケットで魅力的に映るクルマづくりへの挑戦だった。

 

 その挑戦は、日本の自動車に高い性能を与えながら、それを安価に供給する大量生産という高度な産業技術を日本の自動車産業にもたらし、日本の自動車ユーザー、なかでもスポーツカーファンがそれを享受することができた。

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米国日産社長の片山豊が企画した欧州車に負けないスポーツモデル

1969年11月、日産フェアレディは70年代に向けて大きく変貌する。日本製の自動車がグローバル市場で3流以下の扱いを受けていた1960年代初期、当時の米国日産社長・片山豊が企画し、欧州製スポーツカーに負けないスポーツカーを送り出す、として開発したのが米国名「ダットサンZ」、日本で「フェアレディZ」と呼んだクルマだ。

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 それまでのスパルタンともいえる硬派なオープンルーフのスポーツカーから、クローズドルーフの快適で広い居住空間や安全性という新たなファクターを備えたロングノーズ&ショートデッキの華麗なスタイルのグランドツアラー「フェアレディZ」に変身したのだ。それは北米での安全基準や排気ガス規制、ユーザーのニーズに応えた結果の大胆なモデルチェンジだった。そしてそれは、その先に日本に訪れる消費者ニーズと安全・環境基準の先取りでもあった。

 

 エクステリア・デザインは日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオが担当したとされる。このセクションはスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署だったという。ファストバックの流麗ともいえる、そのボディサイズは全長×全幅×全高4115×1630×1290mm、ホイールベース:2305mmと全高を除いてSR311からかなり大型化した。偶然なのか、トヨタ2000GTと非常に近い寸法のクルマだった。

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先に述べたクルマを安価に供給する大量生産という技術は、新型フェアレディZにも大いに活用され、搭載したエンジンはセドリック&グロリアと共用したL20型。ボディは専用だが、フレーム構造だったSR311フェアレディと比べると、圧倒的に生産性の高いモノコックとした。前後ストラット型のサスペンションは、他の日産車のフロントサスから流用できた。走行性能に優れたメカニズムを日産の他車から調達し、コストを低減して低廉ともいえる価格で売り出した。当初の生産規模は月間2000台で、うち国内が500台、残る1500台が北米に輸出された。結果、フェアレディZは、北米で大ヒット作となる。

洗練されたスポーツクーペのスペックダウンに不満の声。そして回答は……

ただ、こうした進化・変身を歓迎しないフェアレディ・ファンもいた。確かにSR311のカタログに記載された「145ps、最高時速200km/h」が、新型Zでは「130ps、195km/h」にダウンしていたのだ。

 

 SR311搭載のU20型直列4気筒OHCエンジンの豪快なフィーリングに対して、新型ZのL20型直列6気筒OHCエンジンは、あくまでもスムーズに回る。が、それまでのフェアレディのユーザーだった硬派なファンから不満の声が洩れたのだ。そうなることは日産の技術陣も予想していた。そして、そのための回答も用意されていた。

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 そして登場したのが「フェアレディZ432」だ。Z432は先にスカイラインGT-Rに搭載され、スポーツカーファンを驚愕させたレーシングカー「プリンスR380」搭載のレーシングユニットの直系、S20型エンジンを搭載していた。1989cc・直列6気筒DOHC24バルブ、最高出力160ps/7000rpm、最大トルク18.0kg.m/5600rpmとされたパワーユニットから、最高速度210km/h、0-400m加速15.8秒と発表されたのだった。組み合わせるトランスミッションはポルシェシンクロの5速マニュアルフロアシフト。しかも、Z432は北米には輸出されず、日本のユーザーだけが受け取れる、特別なスポーツカーだった。価格は185.0万円だった。

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 フェアレディZ432の名称は、このパワーユニットのメカニズムに由来する。つまり、直列6気筒で気筒当たりの吸排気バルブ数が2+2の「4」、燃料を供給するミクニ・ソレックスキャブレターを3連装した「3」、そしてDOHCのふたつのダブルカムシャフトの「2」と、ある意味で暗号めいた独創的なネーミングだったといえる。Z432は4年間で419台が生産されたと記録に残る。その一部はボディパネルをFRPに換えたレース専用モデルのフェアレディZ432Rである。

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レース仕様のZ432Rはサスペンションもやや異なるセッティングとなり、スプリングレートはフロントが標準の1.8kgmmに対し5.5kgmm、リヤが2.07kgmmに対し5.57kgmmと固められていた。ダンパーも固くなっており、フロントが伸び側で標準が35kgに対し130kg、縮み側が20kgに対し90kgだった。リヤは伸び側が標準80kgに対し120kg、縮み側は20kgに対し85kgと非常に固いダンパーが使われていたようだ。

レーシングユニット直系の直列6気筒DOHC「S20型」

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 PGC/KPGC型スカイラインGT-RとPS30型フェアレディZ432に搭載されたパワーユニットS20型エンジンは、プリンス自動車から引き継いだレーシングプロトタイプR380のエンジンであるGR8型から派生したエンジンだ。GR8型とS20型の違いは、バルブ駆動がギア駆動だったGR8型からギアとチェーンによる駆動に変更され、ピストンストロークが0.2mm短縮された程度でしかない。S20型はGT-RにしてもZ432でも、エンジンの価格がクルマの値段の約半分という高コストエンジンだったと今に伝わる。

 

 GR8型を搭載したR380は、プリンスが日本グランプリ優勝を目指して開発したプロトタイプで、合併後の日産が引き継いだ。1968年の日本グランプリに参戦したR380Ⅱ型のエンジンは、最高出力245psプラスαとされていたユニットである

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ある意味、レースで勝つことを命題に開発されたフェアレディZ432は、同時代のスカイラインGT-Rと共に稀有で貴重な存在だった。が、レースの現場では、Zのシャーシと駆動系がS20型ユニットと相性が良くなかったらしく、GT-Rに比べるとサーキットを走った期間は短く、北米への輸出モデルだった後継の240Zに活躍の場を譲る。

 

 当時、自然吸気の2リッター6気筒エンジンとして世界でも屈指の実力だったS20型を搭載したフェアレディZ432。血統と持つスペックは文句なしの超一流だったが、ベストにコンディションを保つのが難しく、この辺りがオーナーの泣き所だったと言われる。

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 しかし、70年代に入ってからのアメリカ西海岸の深刻な大気汚染問題に端を発する排気ガス規制と世界を震撼させたオイルショックが、S30型フェアレディZにも大きな影響を与える。1973年にはZ432と240Zがカタログから消え、74年にはホイールベースを延長した「2+2」を含めてL20型搭載車だけとなる。1975年に燃料供給システムをキャブレターから電子制御燃料噴射装置であるEGIに換装して排気ガス規制をクリアするも、1978年にS30型は使命を終え、新型にスイッチする。日本だけの特別なZ432は前述したとおり419台だけが生産された。

次回は「珍車/スーパーカー百景」です。 お楽しみに!

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