Sony
Sony
メニュー
閉じる

【重要】ゴールデン横丁移転のお知らせ

ゴールデン旧車倶楽部

【珍車/スーパーカー百景】Dino206GT/246GT - 創業者エンツォのひとり息子の名を冠したスモール・フェラーリ

■優しく、軽やかに駆けぬけるエンツォの愛息

・モデル名 :Dino246GT(ディーノ)
・世代/型式:***
・メーカー名:フェラーリ(伊)
・搭載エンジン:2418cc水冷65度V型6気筒DOHC
・最高出力 :195ps/7600rpm
・最大トルク:23.0kg.m/5500rpm
・トランスミッション:5速マニュアル(フロア式)
・サスペンション:前後ダブルウイッシュボーン
・ボディサイズ:全長×全幅×全高4200-4290×1700×1115mm
・ホイールベース:2340mm
・ホイール+タイヤ:205/70VR14
・最高速度 :235km/h
・車両重量 :1080kg
・販売時期 :1969
・生産台数 :***

フェラーリは1946年、イタリアの田舎町モデナで誕生した。創業者はエンツォ・フェラーリだ。彼は49歳でアルファ・ロメオと訣別し自身のレーシングカー・コンストラクターを立ち上げた。そして、レース活動資金を得るためにロードスポーツ・モデルの生産・市販を開始する。そのなかで生まれたフェラーリの名を冠さないヒット作が「Dino」である。ここからフェラーリは、ある意味で量産スポーツカーのメーカーとなる。日本では人気漫画「サーキットの狼」で、主人公・風吹のライバルだった交通機動隊パトカー隊員の沖田が公道グランプリでドライブしたクルマとして有名になった。

ピュアスポーツカーメーカーが示す新しい道筋

Dino-5

フェラーリというイタリアの自動車メーカーの歴史を辿るほどに感じるのは、純粋なレーシングカー&ピュアスポーツカー製造会社として圧倒的な組織だと思わせることだ。

 

 ところで、同社は2018年9月に、フェラーリの本拠地の北イタリア・マラネロで投資家向けの発表会を開催し、新たに就任したCEOのルイ・カミレリ氏が2019年から2022年まで4年間の中期経営計画を発表した。

 

 そこには2022年に新車販売台数の6割をハイブリッド車(HV)にすることなどを柱とする商品計画が含まれ、2022年には市場が拡大しているSUVにも参入するとした。生産台数を抑えながらブランド価値を高めてきたフェラーリが、環境規制や市場のトレンドに対応する姿勢を示したのだ。ピュアスポーツを手がけてきた自動車メーカーが変わるかもしれない。

 

確かに2007年に2245億円だった売上高は、2017年に4400億円に達し、今回の中期計画では、2022年に6600億円に増やす計画だという。発表のなかで、カミレリCEOは4年間で「5割アップという野心的な計画だが、達成可能だ」と強調した。

 

  計画のなかには4年間で15車種の新型車を投入する予定も含まれる。計画達成に要する販売台数は非公表だったものの、2017年の新車販売8400台から大幅に増えることは間違いない。生産台数が年間1万台を超えると、自動車メーカーとして本格量産企業と見なされ、販売する各国の環境規制を満たす必要が出る。HV化はそのための必須要素だ。

1946年、イタリアの田舎町モデナで「フェラーリ」誕生

その「フェラーリ」という名のレーシングカーは、いまからおよそ70年前、第二次大戦が終わって間もない1946年、イタリアの田舎町モデナで誕生した。創業者は冒頭で記したとおりエンツォ・フェラーリだ。彼は、1929年からアルファ・ロメオのセミワークスチーム「スクーデリア・フェラーリ」として活動していたが、49歳でアルファと訣別し、遂に独立を果たすのだった。

レース資金確保のためロードカー生産開始

Dino-2

当初はレース活動に専念するも、1948年からレース活動の資金を得るためにロードカーの生産を開始する。そのなかで著名なのが1954年に登場したV型12気筒エンジン搭載のFRスポーツの250シリーズだ。1962年に登場した250GTOなどの優雅で速く、そして高価なスポーツクーペやスパイダーは、顧客の好みに応じてピニンファリーナがボディを生産したという。その後、V12フェラーリは275、365シリーズへ発展する。

 

 エンツォとその妻ラウラの間には、アルフレッドというひとり息子が生まれた。エンツォとラウラは、親しみを込めてアルフレディーノ、またはディーノと呼んで過ごしていた。しかし、そのディーノは1956年、24歳の若さでこの世を去ってしまう。

 

 そのアルフレッドが病院のベッドに居るときにエンツォを含めたフェラーリ・エンジニアたちと1957年から1.5リッターエンジンに換装されるF2のエンジンについてミーティングを行なった。そこでアルフレードが提案したのがV型6気筒だ。そこでフェラーリの開発者たちは1.5リッターV型6気筒レーシングエンジンの開発を進め、1957年の春に亡きディーノの名を冠した「ディーノ156 F2」をレースに出場させる。「156」の名称はフェラーリの文法どおりで、15が排気量を、その後の6が気筒数を表す。

息子が発案したV6エンジンをミッド搭載したディーノ

Dino-1

そのV6エンジンは、デビューから連戦連勝を記録する。しかし、1967年にF2のレギュレーション変更で、年間500台以上生産された市販車用エンジンをベースにしたパワーユニットに限定されることになった。

 そこで量産車を持たないフェラーリは、このV6エンジンの生産をフィアットに委託するとともに、フィアット車にも搭載することで規定をクリアすることとした。

 

 一方で、このエンジンをミッドシップ搭載するスモール・フェラーリを1965年のパリ・サロンで、プロトタイプ「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」の名で発表した。さらに翌年のトリノ・ショーで、そのプロトタイプを現実的なスタイルに仕立て直し、エンジンを横置き搭載する「ディーノ・ベルリネッタGT」を発表する。

 

 このベルリネッタGTをベースにして1967年に発表した、V型6気筒エンジンをミッドシップ搭載したスモール・フェラーリが「ディーノ206GT」だ。正式にはフェラーリの名は使わず、エンツォの亡き息子の愛称が冠されたモデルだった。

全長×全幅×全高4200×1700×1115mmのコンパクトなボディはオールアルミ製で、完全な手づくりだった。

 

 エンジンは65度V型6気筒DOHC、ボア×ストローク86.0×57.0mm、1986ccのキャパシティで、フェラーリのレースカー「SP」と同じアルミ合金製エンジンだった。その最高出力は180ps/8000rpm、最大トルク19.0kg.m/6500rpmとされた。このエンジンを搭載した「206GT」はわずかに150台だけが生産されたにとどまる。

 

 このエンジンを実際に生産したのは、資金面での支援者だったフィアット社で、ディチューンし、やや控えめな性能としたエンジンをフロント搭載したFRモデルのクーペとスパイダー「フィアット・ディーノ」が発売されている。

 

 エンツォにとって、レース活動の資金を得るためにフィアットとの連携は、心ならずも必要だった。が、「12気筒以外のストラダーレはフェラーリとは呼ばない」として、ディーノにはフェラーリのあの「跳ね馬」のエンブレムは付けられなかった。

フィアットのもとディーノ246GT生産で飛躍的に伸びた業績

Dino-4

2年後の1969年6月、フィアットはフェラーリを傘下に収める。この提携でレース部門はエンツォが率いるが、ロードカー生産部門はフィアットが管理するという、エンツォの希望に叶った組織となった。

 

 フィアット傘下に入ると、ディーノ206GTのV6DOHCユニットは、ボア×ストローク92.5×60.0mmの超ショートストローク型2418ccに排気量を拡大。ディーノ246GTにスイッチする。搭載エンジンのマキシマムパワーは195ps/7600rpm、ピークトルクは23.0kg.m/5500rpmにアップした。しかしながら、エンジンヘッドだけはアルミ製だが、ブロックが鋳鉄製とスペックダウンしていた。

 

 246GTのボディシルエットは206GTと変化ないように見えるが、素材はオールアルミ製からスチール製に変更され、ボディサイズも全長が90〜110mm伸ばされ、ホイールベースも60mm長くなった。その結果、246GTの全長×全幅×全高は、4200-4290×1700×1115mm、ホイールベース2340mmで、206GTで900kgだった車重は1080kgまで増えた。

フィアット傘下で高い商品性を得た「ディーノ246GT」

ferrari_dino_246gts_001

イタリア自動車最大手のフィアット傘下に入ったことでディーノは、手づくりに近い手間のかかる小ロットの特別なGTカーから、量産を考慮した商品性の高いスポーツカー「ディーノ246GT」へと変貌した。ある意味でフェラーリ初ともいえる市場性を意識したカスタマー・オリエンテッドな製品だった。その効果は絶大で、1960年代のフェラーリの生産台数は600〜700台/年だったが、1970年には一気に928台にアップ。1971年には1000台の大台を超えて1247台を生産するに至った。

 

 だからといってフェラーリが通俗的なスポーツカーになってしまった訳ではない。当時、日本の自動車専門誌をリードしていた「CAR GRAPHIC」誌(二玄社)の編集長で評論家としても著名な小林彰太郎氏は、輸入されると同時にそのステアリングを握り、同誌に掲載した試乗記のリードで、「“ミニ・フェラーリ”ディーノ246GTほど、ワインディングロードを速く、安全に飛ばせる車はない。操縦性、ロードホールディングは文句なく絶品で、しかも視界がサルーン並みによいからだ。ドライビングの愉しさで、ディーノはカレラRSに勝るかもしれぬ」と記していた。それほど、クラシック・フェラーリのなかでコンパクトなディーノは扱いやすいスポーツモデルだったのだ。

 

 1972年、ディーノ246GTにオープンモデルの246GTSが加わる。しかし、翌年の1973年にフェラーリはディーノの名を冠する2番目のモデル、308GT4を発表する。新開発の3リッターV型8気筒をミッドシップ搭載するモデルは2+2座であり、2座スポーツの246GTは継続となるも、2座の308GTBが登場する前年の1974年に生産終了となる。

ferrari_dino_246gts_002

次回は「懐カー徹底解剖」です。 お楽しみに!

この記事にコメントする

  • Facebook
  • Twitter