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三澤敏博の幕末維新グルメ

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【メニューその20】西郷の嫡男、寅太郎ゆかりの習志野ソーセージ

習志野ソーセージ:千葉県習志野市

20181104_10

西南戦争により「賊軍」として散った西郷隆盛。明治天皇と西郷の思い出残る千葉県習志野の地で嫡男、寅太郎が生んだソーセージを紹介!!

西郷が指揮した習志野の大演習

空挺団習志野駐屯所の第一空挺団

千葉県の習志野市は、第1空挺団など自衛隊の駐屯地として知られていますが、その歴史は維新の時代にまで遡ります。

江戸時代、幕府直轄の牧場として利用されていた当地に、明治6(1873)年4月29日、明治天皇観閲の元、近衛兵2800人にも及ぶ大演習が行われました。この大演習の全体を指揮したのが陸軍大将の西郷隆盛です。

明治天皇は宮城(皇居)から抜剣したまま、馬上で行軍を指揮し、これに西郷が付き従う形で、習志野まで軍を進めたといいます。その夜は、野営のテントが吹き飛ばされる程の大雨となり、西郷は夜の間、明治天皇のテントの前に立ち続け、天皇を守ったと伝わります。
 

明治天皇駐蹕之処の碑明治天皇が行幸した習志野の演習を伝える石碑

篠原国幹が「習志野」の由来?

この大演習において、最も活躍したのが西郷の腹心である薩摩藩士、篠原国幹です。後日、明治天皇は篠原を召し「篠原に習え」という意味から当地を「習志野原」と命名したといいます。

以後、習志野は操練場となり、幾度も演習が行われる軍都として発展していきました。
 

空挺館4明治天皇の筆による「習志野原」の命名

西郷と明治天皇の想い出残る習志野

ところがこの年の9月。西郷は「征韓論」を巡る政変によって下野。陸軍少将であった篠原らもこれに従って、鹿児島へ去って行きました。

その後、明治10(1877)年の「西南戦争」によって西郷は亡くなり、一番大隊指揮長を務めた篠原も壮絶に散りました。
 

明治天皇

「賊軍」として敗れた西郷ですが、明治天皇は後々まで敬愛する西郷との思い出話を侍従らに語って聞かせたといいます。その中には習志野の話もあり、いかに明治天皇にとって、習志野での演習が大切な思い出であったかが窺えます。
 

空挺館
空挺館2
空挺館3

明治44年、明治天皇が陸軍騎兵実施学校へ行幸する際に、御馬見所として建立された建物が習志野駐屯所に移築され、展示施設「空挺館」となっています。緩やかな階段は晩年の明治天皇に配慮した設計だそうです。
 

西郷の遺族にまで及んだ明治天皇の想い

明治天皇の西郷への想いは、その遺族にまで及びます。西郷の妻であると、嫡男の寅太郎は、西南戦争の後、人目を避けるように鹿児島で暮らしていたのですが、これを知った天皇は、ただちに寅太郎を東京へ呼び寄せたのです。
 

糸と寅太郎糸と寅太郎

その背景には勝海舟や薩摩藩士・吉井友実らの尽力がありました。西郷の名誉回復を目指していた海舟らは、山岡鉄舟を通じて有栖川宮熾仁親王に働きかけ、天皇から西郷の遺児に、お声がけを頂こうと考えたのです。

つまり「朝敵」の子にお声をかけて頂く事で、西郷の名誉回復に繋げようとしたわけです。ところが話を聞いた天皇は、薩摩でひっそりと暮らしている寅太郎を東京に呼ぶようにと命じたのです。
 

ドイツ留学の恩命を賜った寅太郎

しかし寅太郎はなかなか薩摩から動きません。さんざんの説得に、ようやく東京に出てきても、敵に回った隆盛の弟・従道の屋敷には決して足を運ばず、参内するのも渋っていました。
 

西郷山公園従道の屋敷があった目黒の西郷山公園。当初、従道は兄・隆盛を呼び寄せるために当地を用意した

そんな様子に海舟は「お前も親父にならって一旗揚げるつもりか。それもよかろう。大いにやれよ!」とけしかけました。流石の寅太郎もこれには弱り、ようやく重い腰を上げて明治16年4月25日、参内を果たしました。

そしてこの日、寅太郎にはドイツへの留学の恩命が伝えられるのです。この思し召しにより、僅かながら西郷の名誉も回復に近づきました。
 

習志野捕虜収容所の初代所長に抜擢

その後、寅太郎は十三年もの間ドイツで陸軍を学び、帰国後は貴族院議員に就任。やがて明治天皇も崩御され、軍事施設となっていた習志野の地には大正3(1914)年「習志野俘虜収容所」が設置されました。これは第一次世界大戦によるドイツ人捕虜収容のための施設です。
 

習志野俘虜収容所習志野俘虜収容所(大正三四年戦役俘虜写真帖)

その収容所の初代所長に選ばれたのが寅太郎でした。寅太郎はドイツ留学の経験があるのみならず、父・隆盛が敗れた西南戦争における敗者の気持ちは痛い程に理解しています。

所長に就任した寅太郎は、捕虜たちの扱いを手厚くするよう厳命し、施設内には演奏会や演劇を行う野外ステージ、映画館に菜園なども設けられました。またビールやワインまでが醸造され、ドイツ名物のソーセージも作られるようになりました。
 

習志野俘虜収容所習志野俘虜収容所(大正三四年戦役俘虜写真帖)

寅太郎と習志野ソーセージ

当初、ソーセージの製法はドイツ伝統の秘伝のため、捕虜の中にいたソーセージ職人は公開することを拒んでいました。しかし寅太郎の熱心な説得により、ついにはこれを伝授したと伝わります。
 

習志野俘虜収容所習志野俘虜収容所(大正三四年戦役俘虜写真帖)

やがて大正7(1918)年の正月元旦。寅太郎は新年の挨拶のため収容所に向かいます。実はこの時、寅太郎は収容所内で流行したスペイン風邪(インフルエンザ)に罹っており、医者は寅太郎を止めました。

しかし捕虜たちに「本年が帰国の年になること」を伝えるため、新年の挨拶に向かったのです。しかし、残念ながらこの日の午後四時、寅太郎は亡くなってしまいます。
 

習志野ソーセージ「習志野商工会議所」によって再現された「習志野ソーセージ」

父・隆盛と明治天皇ゆかりの習志野で世を去った寅太郎。その功績と歴史は、あまり知られていませんが、現在「習志野商工会議所」では当時の製法で再現した「習志野ソーセージ」が販売されています。寅太郎の説得によりドイツの職人から伝えられたあのソーセージです。

「習志野ソーセージ」の特徴は、ジューシーな味わいと塩分濃度の高さにあります。これは当時、冷蔵設備が充実していなかったためだとか。ご当地グルメとしても評判で、市内のスーパーなどで購入が可能です。伝統の味とともに、唯一、西郷親子と習志野の歴史を味わうことが出来る逸品です。
 

今回紹介した幕末維新グルメ

【幕末維新グルメ メニュー20】習志野ソーセージ
 千葉県習志野市津田沼4-11-14



次回予告

次回予告

【幕末維新グルメその21】


明治維新は食の維新でもありました。次回の幕末グルメは、新時代の飲み物「牛乳」です。明治天皇から松平容保榎本武揚福澤諭吉などなど維新の要人と牛乳にまつわる物語を紹介します!!

 


このコーナーは、毎週日曜日の20:45に更新します。

大河ドラマを見たら忘れずチェック!日曜夜の新習慣です。

 

次回は11/18(日)の予定です。お楽しみに。
 

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