Sony
Sony
メニュー
閉じる

三澤敏博の幕末維新グルメ

Powered by 絡繰堂

【メニューその14】大久保利通、遭難。大混乱の中、西郷の弟・従道が届けさせた江戸の老舗弁当

日本橋弁松総本店:東京/日本橋

20180930_14_00

維新を導いた薩摩の西郷隆盛大久保利通。盟友であった二人はやがて、時代のうねりの中で対立し、西郷は西南戦争で自刃、大久保も不平士族に暗殺されます。

両者の間で複雑な立場にあったのが、西郷の弟・従道です。大久保と従道の知られざる逸話が詰め込まれた、江戸の老舗弁当を紹介!

世界でも話題!! 日本の“BENTO”

弁当

近年、世界でも大きな注目を集めているのが日本の弁当。フランスをはじめ、世界各国では “BENTO”の名で一大ブームとなっています。そのきっかけは日本のアニメやマンガにあったといわれています。

日本のようにカラフルで様々な食材がコンパクトに詰め込まれた弁当文化がなかった海外では、マンガやアニメに登場する弁当が珍しかったようで、一躍有名になりました。

仕出しから駅弁まで、独特の日本文化として発展してきた弁当は、もはやグルメの一ジャンルとしても、欠かすことのできない存在といえます。

日本初の折詰弁当専門店

日本で初めての折詰弁当専門店は「日本橋弁松総本店」だといわれています。江戸時代末期の文化7(1810)年、日本橋魚河岸に創業された「樋口屋」という食事処がその前身です。
 

魚河岸かつて魚河岸が置かれた日本橋の魚河岸跡

創業間もなく繁盛した「樋口屋」は、何より盛りのよさが評判でした。ただし魚河岸の人間は忙しく、中には全て食べ終える前に席を立つ人もありました。

そこで食べ残した料理を経木や竹の皮に包んで持たせてやり、この気配りが更なる評判を呼んだのです。「弁松」の折詰弁当のルーツはここにはじまります。

そして幕末の嘉永3(1850)年、食事処を閉じ、折詰料理の専門店として再出発を果たしたのが現在の「日本橋弁松総本店」です。「弁松」の屋号は三代目・松次郎に由来しています。「弁当屋の松次郎」略して「弁松」というわけです。

大久保利通遭難による混乱の中、届けられた弁当

やがて維新が成り、文明開化の明治時代。「弁松」の折詰料理は新しい世の中でも評判で、多くの人々に愛されました。

当時いかに「弁松」が知られていたかを示す逸話があります。それは明治11年5月14日。大久保利通が暗殺された「紀尾井坂の変」の時のことです。
 

紀尾井坂大久保が暗殺された紀尾井坂
紀州藩と尾張藩、彦根藩井伊家の屋敷があったことから紀尾井坂と呼ばれました

いわゆる「征韓論」を巡る対立から下野した西郷隆盛は、不平士族の想いを一身に背負う形で、西南戦争に散りました。その余波は袂を分かった盟友の大久保にまで及び、やはり不平士族によって大久保も暗殺されます。
 

大久保公哀悼碑暗殺現場の近くにある清水谷公園には大久保の哀悼碑も建立されています

西郷と大久保、両者の間でつらい立場にあったのが、隆盛の弟・西郷従道です。多くの薩摩藩士が西郷に従って下野していく中、政府に留まり、結果的には兄と故郷を敵に回すこととなった従道。

そんな複雑な胸中のなか、兄に続き最も信頼する大久保まで失った「紀尾井坂の変」は、従道に大きな衝撃を与えた。
 

西郷山公園東京都目黒区にある西郷山公園。従道は兄隆盛の再起を願って当地を購入しましたが、
隆盛が亡くなったため従道の別邸として利用されました。庭園の整備は西郷の従僕であった熊吉によって行われました

事件の日、凶報を聞いた従道は慌てて家を飛び出し、道中で出会った大久保の馬車に乗り込むと、その隣に座って大久保邸に向かいます。混乱する大久保の妻・満寿子には「大久保さんはご病気でお帰りになりました」と慰めたと伝わります。

やがて屋敷には大山巌中井弘といった旧知の人々や親類が集まり、一同、あたふたとする中で午後に。もちろん食事などは用意されていません。そこへ運ばれてきたのが、大重箱に詰められた大量の「弁松」の料理だったのです。

実はこれを用意したのは従道でした。従道は自宅を出る前に「弁松」に使いを出し、百五十人前の料理を午後までに大久保邸へ届けるよう手配していたのです。
 

従道と大久保西郷従道(左)と大久保利通(右) (国会図書館蔵)

大久保という心の支えを失った直後にもかかわらず、冷静な対応を忘れなかった従道。その細やかな人となりが垣間見られると共に、当時、弁当といえば「弁松」であったという事がうかがえます。

濃いめの味付けは、まさに江戸時代そのままの味

弁松の弁当経木の折箱が嬉しい「弁松」の弁当。濃いめの味付けで、一品ずつこだわり抜かれた料理は、まさに幕末の味
一口で幕末維新の世界に引き寄せられます

現在でも「弁松」では経木の折箱で、創業当時のこだわりの味が継承されています。最大の特長は、何といっても甘辛い濃いめの味付け。

江戸時代より「弁松」は当時高価であった砂糖が惜しげもなく使用され、甘辛く調理されていました。これは魚河岸で働く肉体労働者に向けて高カロリーに味付けしたためだとも「江戸っ子」ならではの見栄だともいわれていますが、「弁当」という特質上、日持ちさせる目的もあったようです。

食の事情が多様化する現在でも「弁松」では、あえてこの伝統の濃い味を継承し続けています。つまり「弁松」の味は、まさに幕末の味というわけです。

大久保や西郷に想いをはせながら、幕末維新への味覚体験を楽しむことができるこだわりの弁当。幕末ファンには必食の逸品です。

今回紹介した幕末維新グルメ

【幕末維新グルメ メニュー14】日本橋弁松総本店
東京都中央区日本橋室町1丁目10-7



次回予告

次回予告

【幕末維新グルメその15】 カステラ

 龍馬や小松帯刀も新婚旅行に携えた!?

次回の幕末グルメは、長崎名物のカステラ。実はカステラは幕末の様々なシーンで登場しています。カステラと幕末維新にまつわる知られざる物語! 乞うご期待です!!

 


このコーナーは、毎週日曜日の20:45に更新します。

大河ドラマを見たら忘れずチェック!日曜夜の新習慣です。

 

次回は10/7(日)の予定です。お楽しみに。
 

この記事にコメントする

  • Facebook
  • Twitter