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三澤敏博の幕末維新グルメ

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【幕末維新グルメその5】全国に知られる高知「北川村の柚子」は中岡慎太郎の奨励によってはじまった

「北川村の柚子」:高知県北川村

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当地の庄屋の家に生まれたのが、坂本龍馬とともに薩長連合や大政奉還に尽力した中岡慎太郎だ。

実は北川村の柚子が名物となった背景には、中岡慎太郎の助言があった!

北川村の大庄屋の家に生まれた中岡慎太郎

北川村の大庄屋の家に生まれた中岡慎太郎

北川村の故郷に建つ中岡慎太郎像

 

高知県の東部に位置する北川村。
村の95%を覆うという森林と美しく澄んだ奈半利川が生み出す自然は、幕末の頃より変わらない。

この北川村の大庄屋の家に生まれたのが幕末の志士、中岡慎太郎だ。

村には復元された慎太郎の生家や、中岡慎太郎記念館なども建立されており、その面影を現在に伝える。

復元された中岡慎太郎の生家
復元された中岡慎太郎の生家

復元された中岡慎太郎の生家

 

中岡慎太郎の功績は、同郷の坂本龍馬とともに暗殺されたためか、いささか誤解が多い。
確かに薩長同盟の締結など、後年は倒幕に向けて龍馬との行動が多かったが、幕末の激動期はそれぞれ違う道を歩んだ。

海軍の育成などに尽力していた龍馬に対し、慎太郎の行動はまさに激動であった。

武市半平太の土佐勤王党に加盟し、上京をはたすと尊攘活動に奔走。
やがて「八月十八日の政変」により土佐藩にも尊攘派の弾圧がはじまると、長州藩に亡命して同じく集まっていた各藩士らの指導的役割を担った。

その後は、「蛤御門の変」や四カ国連合艦隊との戦いにも参加
長州征伐においては、幕府の征長軍参謀である西郷隆盛との直接会談を敢行し、薩長和解の契機を作った。

これが薩長同盟の萌芽となり、ついには同盟が締結。
だが、討幕を目前にして、坂本龍馬とともに凶刃に倒れた。

山林に囲まれた北川村の風景

山林に囲まれた北川村の風景

 

これらいくつもの幕末の大事件に接してきた慎太郎の行動力は、どこから来るのか。

それは故郷、北川村にあるのかもしれない。

龍馬や武市が住む城下までは、約60キロの山道。この遠き道をいくども往復しながら、中岡慎太郎は若き志士として歩み出したのだ。

北川村の山間に立つと、その決意と想いが十分に伝わってくる。

中岡慎太郎が勧めた柚子栽培が名物に

美しい北川村の柚子

美しい北川村の柚子(写真提供: 北川村ゆず王国)    

 

中岡慎太郎の故郷、北川村といえばなんと言っても柚子の名産地として有名だ。
収穫の最盛期となる11月には、村中がさわやかな柚子の香りに包まれる。

実はこの北川村の柚子に、慎太郎が大きく関係している

安政3(1856)年、慎太郎は師と仰いだ武市半平太に伴って江戸に出たが、翌年父が病没したため、土佐に戻って庄屋業を継ぐべく大庄屋見習となった。

何しろこの当時、「安政の大地震」の爪痕が村のいたるところに残されており、村人の生活は困窮を究めていた。

「民なくして君や国はない」
そう考える慎太郎は村民の先頭に立ち、その生活を支えるべく尽力した。

時に家の山林や田畑を担保に、豪商から米麦を借りては村民にほどこし、また城下に出ては国老を説得して官庫を開かせるなど、村民の救済に尽くした。

室戸岬に建つ中岡慎太郎像

室戸岬に建つ中岡慎太郎像

 

さらに根本的な復興対策として、植林や田畑の開墾、食料の共同貯蓄なども推奨した慎太郎。そのひとつとして勧められたのが柚子の植栽であった。

慎太郎は村に自生していた柚子に着目し、日陰でも育つ柚子を家の裏や山裾に必ず植えることを薦めた

山に包まれた北川村では、飢饉になると塩を入手することも難しい。
塩の代用となる柚子があれば、奈半利川の魚を獲って食をつなぐこともできる。
慎太郎の柚子推奨は飢饉対策でもあった。
これが現在、北川村の名物となっている柚子栽培のはじまりである。

写真提供: 北川村ゆず王国

写真提供: 北川村ゆず王国

 

もっとも当時、慎太郎によって推奨された柚子栽培は、それほど大きな成果があったとはいえない。
というのも柚子は「桃栗三年、柿八年、柚子の馬鹿めは十八年」といわれる程に、その栽培には多くの時間が必要であった。

慎太郎が大庄屋見習いとなったのは二十歳の時であるが、龍馬と共に京都近江屋で暗殺されたのが十年後の三十歳。
柚子が育つ十八年にはまだ遠く、その後の時代には、慎太郎推奨の柚子も忘れられていった。

やがて北川村の柚子栽培が再び注目されたのは、昭和40年頃のことであった。
村では何とかこの柚子を特産品にすべく様々な取り組みが行われ、それと同時に中岡慎太郎の功績も再注目されるようになった。

そして現在では柚子の出荷はもちろん、ジュースやジャム、スイーツにポン酢などなど様々な加工品としても北川村の柚子は知られる存在となった。

その背景に、幕末の動乱を激しく駆け抜けた中岡慎太郎の存在があったことは今後も語り継がれていくであろう。
慎太郎を想わせる爽やかな柚子が、今でも北川村を支え続けているのである。

「北川村ゆず王国」が製造する数々の柚子製品

北川村ゆず王国が製造する数々の柚子製品

この他「北川村ゆずサイダー」や「ゆずレアチーズケーキ」などの商品もあり、通信販売で取り寄せも可能(写真提供: 北川村ゆず王国)

今回紹介した幕末維新グルメ

北川村の柚子

高知県安芸郡北川村

北川村ゆず王国

高知県安芸郡北川村加茂236番地1

※通信販売により地方発送も可能

 

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次回予告

中岡慎太郎と北川村の柚子

【幕末維新グルメその6】

東郷平八郎、本人が唯一認めた銅像と煎餅の物語!!

若松屋菓子舗の東郷煎餅:埼玉県/飯能市(吾野)

 

美しい自然と、懐かしい町並みが郷愁を誘う埼玉県飯能市。

市内の秩父御嶽神社には、激動の幕末を駆け抜け、日露戦争においては連合艦隊司令長官を務めた薩摩藩士・東郷平八郎の像が建つ。

この銅像建立が遠因し、秩父にひとつの銘菓が生まれた。

 


このコーナーは、毎週日曜日の20:45に更新します。

大河ドラマを見たら忘れずチェック!日曜夜の新習慣です。

 

次回は8/5(日)の予定です。お楽しみに。

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