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So-net グラビア特集

2019年2月19日

昭和を代表する伝説のグラビア「激写」の舞台裏!(ゴル横アーカイブ[3])

前回、西坂さんがGOROの編集部へと配属され、編集者として磨かれ(しごかれ?)ていく過程のエピソードを紹介させていただいた。カラダを張ってでも実現していたオモシロ企画の数々、たまりません!

そんな元気なGORO編集部なわけだが、それを支えるパワーの源となったのが、あの大写真家・篠山紀信さんの手による「激写」という伝説のグラビアだ。今回は西坂さんがいかにして伝説の「激写」担当となり、いかに奮闘してきたのかをご紹介したいと思う!

激写!それは青春! そもそも「激写」ってなんだ?

もしかしたら釈迦に説法になるかもしれないけど、西坂さんのエピソードを語る前に、まずは根本的な部分「激写」というグラビアについて振り返ってみようではないか。あの頃の多くの若者たちがサルのように夢中になった、伝説のグラビア「激写」ってなんだ?

「激写」とは雑誌GOROに掲載されていた、篠山紀信さんによる巻頭のグラビアコーナーのこと。記念すべき第1回目となったのは1975年の5月22日号に掲載された、これまた伝説のアイドル・山口百恵ちゃんのグラビアである。

芸能人のスクープグラビアはもちろんだが、いわゆる素人の女の子の初めてのヌード写真が掲載され、それも人気を博した。そんなグラビアを集めた写真集が発売されたり、激写文庫なる文庫サイズの本が出たりと、とにかく大人気で、当時は流行語となり「激◯」なんて言葉が氾濫したものだった。また、激写がきっかけでその後、芸能界に進出する人も出てきた……。

と、まあ、ざっくり説明するとこんな感じだ。当時、激写にお世話になったオヤジたちにとっては当たり前の話ではあるが、ここを抑えておかなくちゃ、今回の話は語れないわけだし、勘弁してほしい(;´∀`)

イチ編集部員から激写担当へ!激写担当はまさに“激”動!

西坂さんが激写の担当になったのは1987年。前回登場した鬼デスクの元での修業を終え、精力的に特集記事の企画・編集を頑張っていた。その当時は「激写」を担当することになるなんてことはまったく考えていなかったそうだ。

だが、そんな西坂さんに急遽、白羽の矢が立ったのだった……。その理由は、引き継いだばかりの新担当者が交代することになり、篠山先生のパワフルなお仕事ぶりを支えることができる、アツい担当者がすぐに必要になったからなんだとか。

西坂さん曰く、篠山先生の仕事にかける熱量はめちゃくちゃハンパなく、担当編集は篠山先生からのハイレベルな期待に常に応え続けるために、人一倍の努力が必要だそう。超一流のカメラマンなのだからそれも当然だろう、と想像に難くないけど……、そんなわけで、担当が長く続かない、なんてこともあったらしい。

しかし、今でこそグラビア界の重鎮といえる西坂さんだが、当時はなにせ初めてのことでグラビアなんて右も左もわからない状態。ではなぜ、そんな西坂さんにお声がかかったのだろうか……?

西坂:
篠山さんが『なんにも知らないヤツでいい、お前には俺がイチから全部教えてやる』って、言ったんだよね

そういう風に担当が決まるっていうのも驚きだけど、あの篠山紀信さんから、手取り足取りイチからとな! もちろんプレッシャーはハンパないだろうけど、なんとも贅沢な話だ……。そして、そんなチャンスを見事に活かし、激写担当を歴代最長で勤め上げた西坂さんもやっぱりスゴイ人だよなぁ…( ´Д`)=3

知られざる「激写」の裏側……、激写担当はナンパすべし!?

さてさて、紆余曲折あって「激写」担当となった西坂さん。いよいよ本題である激写のお仕事について聞いてみたい。人気芸能人をはじめとした、キレイな女の子の撮影に同席できるグラビア担当、さぞかしうらやましいお話があるんだろうなぁ……(*´ω`*)

西坂:
激写の担当になってからまもなく、社内にいると『なんでこんなところにすわっているんだ!』って、怒られたよw

ん~? どういうこと?Σ(゚Д゚) オヤジたちもご存じのように、激写のメインは素人の女の子の初ヌードを撮影するグラビアなので、生まれて初めてヌードになってくれるかわいい女の子を探さなければならない!

激写はGOROの看板企画ということもあり、絶対に穴を開けるわけにはいかない。だから、激写担当になると社内なんかにはいれずに、日々街に出て、人気が出そうな、雑誌が売れそうな、素敵な女の子を探し回ることになるのだ。まるでナンパ!w

西坂:
しかも、当時はAVもほとんどない時代で、女の子もヌードに対してもの凄く抵抗があった。声をかけても無視されることも多かったし、ケータイもないので、連絡先を聞くのも一苦労だった

おおまかに言うと「激写」の流れは、

①女の子探し(撮影OKの女の子探し)
②オーディション(テスト撮影)
③本番ロケ

といった感じで、その工程1つ1つに苦労があるらしい。なかでも大変なのが、女の子のケア! やはりヌード撮影である。一度OKした女の子でも素人だし、直前で怖くなって泣いちゃう子もよくいたんだそう。

それはテスト撮影もそうだし、もちろんロケ本番も。ときには撮影に来ない、なんて子もいたらしい。まあ、でも生まれて初めて、しかも撮影でヌードになるんだもんな……、そりゃそうか……。

だからこそ、細かく丁寧にどんな撮影をするのかを説明して、納得してもらうことを一番大切にしていたとのこと。女の子本人だけでなく彼氏や親が出てくることもあり、その説得もしたことがあるそう……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

また、女の子に気分よく撮影に臨んでもらえるように、一流の高級レストランに連れて行ったり、撮影前に高級ホテルを用意するなど、フォローにも余念がなかったらしい。……うーん、こりゃ、気が休まることがなくて、大変( ´Д`)=3

「激写」を生み出す篠山紀信とは?

西坂さんがめちゃくちゃ苦労して作り上げてきた「激写」だが、その根本となる素晴らしい写真を生み出す大写真家が篠山紀信、その人である! 写真はもとより、西坂さんにイチからグラビア撮影のイロハを叩き込んだその人についても触れてみたいと思う。

西坂:
篠山さんは人格的にも素晴らしい人だけど、日本一の写真家だから、仕事に関しては妥協をしない、凄く厳しい人だったね!

街で声をかけたりして女の子を連れてくるわけだが、やはり篠山先生はそんじょそこらの女の子では納得せず、雑誌の締め切りが近づいて、破れかぶれで連れて行ってもどんどん落とされてしまうのだとか。

ただ、逆にその子がモデルになったときにどんな風に映るかをハッキリイメージすることができるから『ダメかもなぁ……』と思った子でも、合格したりすることもあったそうだ。

そのため、一度受かった子と似たタイプの女の子を探してもダメで、いろんなタイプの女性に声を掛けなくてはならない。だからオーディションも受かるときは続けて受かるし、ダメなときは本当にサッパリで、通算成績を出すのは難しかったそう……。

それにしても、やっぱり一流の写真家っていうのは、一般人にはわかんない、その人の魅力とか、その魅力がどう撮影すれば、輝くかっていうのがハッキリわかるんだね!

「激写」表紙で見るアイドルの成長

こちらがなんだかおわかりいただけるだろうか? これはGOROの表紙だが、とある法則で並べられている……。そう、それは同じ芸能人の表紙を並べているということ。例えば国民的美少女・ゴクミこと、後藤久美子ならこんな感じ!

それぞれ1989.12/1989.5/1987.8発刊

右から左に向かって成長していっているのだが、どれもうつくしい……(*´ω`*)
心なしか、1番左は少し顔の丸みがなくなって、大人っぽくなったような気が。わずか2年ちょっとの期間だけど、この時期の女の子はすぐに変わっていってしまうんだね。

こんな感じで、次回は他のアイドルについてもどんどん紹介していこうと思うので、お楽しみに!

お知らせ

そんな昭和グラビアの魂を受け継ぐ、今回お話を聞かせていただいた西坂さんが現在編集長をされているグラビアサイトが『sabra net』。

2月は、インスタのフォロワー数、驚異の20万人越えの注目アイドル、永尾まりやちゃんが登場! 是非、ご覧下さい。

関連情報

岸明日香(左)/小池里奈(右)

sabra net(So-net グラビア)

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