このインタビューは1996年から1998年までの約2年間にわたり、ソネットの会員向けコンテンツとして断続的に行なわれたものです。
ご登場いただきましたゲストの皆様の現在の興味や状況とは異なることをご了承ください。
山口裕美
隈 研吾インタビュー(5)
熱海の「水/ガラス」

静岡県熱海市「水/ガラス」1995
桂離宮を絶賛したブルーノ・タウトがそのオマージュとして建てた日向邸の隣
に、このヴィラは建っている。タウトが桂離宮で拘った庇と竹縁を、ステンレス
ルーフのスラットと循環する水面に置き換えた構造になっている。まさに運命的
で、恵まれた場所。インタビュー中に語られたように、むこうに見える太平洋の
水面とヴィラの開かれた縁側にあたる水面が、曇りの日には境界がなくなる。ま
た、毎年行われる熱海の花火大会の時は大層美しいそうである。こんな所を使え
る・・うらやましい人は一体どんな人なんでしょう?(山口)
- 山口:
- 肝心のお仕事の話をお聞きしたいんですが。まず、熱海の作品「水/ガラ ス」ですが、これは写真では、滝になっているんですか?
- 隈:
- この水はね、すぐ溝があって、その溝に流して循環している。
- 山口:
- そうなんですか?
- 隈:
- まだ行ってないの?
- 山口:
- 行けそうだったんですけど、ダメになったんですよ。これはブルーノ・タ ウトのヴィラの隣なんですよね?照明が入った夜はきれいでしょうね。
- 隈:
- そうだね、僕が一番好きなのは、くもりの日とか雨の日。
- 山口:
- そうなんですか?
- 隈:
- 曇りとか雨の日だとね、この建物の中の水面と海との境がもやーっとしてあ いまいになるじゃない。海と空との境がまた、曖昧になる。全体がぼーっとした グレーの霧状ののもの中に自分が浮いているって感じがする。晴れていると境界 がある水面と空にも境界があるし、空の中にも雲があるとか形のある世界なんだ けれども、曇りの日は全部の境界がなくなる。その方が、僕は好きなんだよね。 だから、海際の建物だからカチっとした 日差しの中で、地中海みたいな光があって黒い影が出きている方がいいんじゃな い、って思う人がいるけれども、僕は曇りの方が好きだなあ...。
- 山口:
- それは意外な話ですね。
- 隈:
- コルビジェは地中海的感性だから、モノの作り方なんかもカチっとした物体 を作って、光がカチっと差してっていう、光と影のコントラスト。僕ね海のそば でも違う建築のあり方があると思った。日本人が全部そうかどうか知らないけれ ども、少なくとも僕に関して言えば、カチっとしたのは好きじゃない。
- 山口:
- そういえば、コルビジェの建築の写真って背景が晴天の青空が多いです ね、確かに。
- 隈:
- そうだよね。
- 山口:
- じゃあ、プレス用にお使いになるのは曇りの日に撮影しているとか、ある んですか?
- 隈:
- 建築写真はやはり晴れの日になるよね。
- 山口:
- あんまりテクニカルな事は、伺っても難しいかもしれませんが、ご苦労な さった点というのはどんなところですか?
- 隈:
- 苦労した点、テクニカルな点では、水面が来て、ガラスの面が来て、そのジ ョイントをミニマムな寸法に押さえる事。普通だと水面があって、防水の立ち上 がりっていうのがあって、下の防水層を押さえるためのぼてっとしたものが来 て、それとは別にここに水がくるって話になってしまう。
- 山口:
- それは前回、95年のベネチアビエンナーレの日本パビリオンも同じよう なご苦労がありましたよね?
- 隈:
- そうそう。同じだよね。ベネチアの時も水面が来て、和紙にかいた日本画が 来てさ、普通だったら、水が跳ねて日本画がだめになるから離す訳じゃない?そ うじゃなくて、ぎりぎりまで近づけている訳だからさ。
- 山口:
- そうですね。
- 隈:
- そういう所がぎりぎりまで、寄せられるか寄せられないかで、空間って全然 違ってきちゃう訳だからね。
- 山口:
- 95年のベネチア・ビエンナーレに参加して、何か変わったとか、体験し て何か思われた事はありますか?
- 隈:
- そうねえ...。プレゼンテートするって事だけじゃない、美術なんて結局 は?自分の中身があろうとなかろうと、プレゼンテートしたものが自分だ、みた いな世界な訳で。建築っていう領域全体が、アートに対して一種コンプレックス を抱いていると思うんですよ。そうじゃなくて、建築ってものの、持っている妙 な力、妙な全体性、これは絶対アー トに対してアートの世界を逆に凌駕しえるんじゃないか、と思ったんだよね。自 分たちはすごい武器をもっているんじゃないかって気がしたんだ。
- 山口:
- そう言い切られると、なんだかビジュアルアーティストたちが可哀想な気 がしてきますけれども..。
- 隈:
- 磯崎(新)さんなんかは、アートの方法にすごく敏感であるし、情報を集め ているし、割とピリピリして作っているけれど、そんなにピリピリしなくてもよ くて、建築ってもの自身がそもそもものすごい奇妙なアートなんだっていうこと が判ったような気がする。
- 山口:
- 特にああいう場所は、日本の中で、愚痴愚痴言っているのと違って、いろ んな国の非常に活きのいい連中と会えるから、やっぱり大きい事かもしれません ね。一挙に、あそこで一カ所で会えるから。
- 隈:
- そうだよね。
- 山口:
- 国際展ってそういうところが大きい事だと思います。参加したから偉いと かプレステージがあがるんじゃなくて、一挙に知り合いが増えるって事が大きい ですよ、たぶん。
- 山口:
- 実際に、施工を担当する方たちにとっては、隈さんは厳しい建築家なんで すか?
- 隈:
- もちろん厳しいところもあるけれども、それでもね、ある意味で形の精度っ て感じじゃないものを求めているんだよね。コンクリート打ちっ放しで、1セン チでもこの目地がズレたらダメっていうような精度じゃなくて、例えば多少ゆが んだりしても、なおかつ美しいっていうものの在り方ってあると思っているんで すよね。そういう意味で、前の世代の建築家の求めている精度と僕の考えている 精度とは全然違う。あるところではすごくいい加減でもいいと思っている。例え ば、宮城県の能舞台の作品では木の格子を使っている。木の格子って、木は生き 物だから、ゆがむし、杉の間伐材で、いっぱい節のある材料を使っているからゆ がむんですよ。でもね、格子がゆがんでもいいように全体をデザインしてあるん ですよ。格子がヨタヨタになってもいいように作ってある訳。そういう全体の 大きな捉え方をしている。建築のディテールってそうなんだよね。ヨタヨタにな ってもいいところと、ここだけはヨタヨタになってはいけないっていうメリハリ なんだよね。だから、全部がヨタヨタになってはいけないように作ってある建築 ってすごく気持ち悪いものだよ。
- 山口:
- それはある意味で、ゆとりがない作品かもしれませんね。そういう世界、 そういう業界だったんでしょうね。建物の形とかも、きっちり蟻の入る隙もない というようなイメージが多かったですよね。でも、やっぱり、なんというか、ガ タリじゃないけど、ゆとりを残して変化も取り込んで行くというような芸術家的 な思想に近いかもしれませんね。 そうそう、だから隈さんの仕事はアーティストなんですよね。そういうイメージ があったから、インタビューに来たんですよ!
- 隈:
- 昔の海の家の簀の子の家があるじゃない?
- 山口:
- よしずばり!
- 隈:
- よしずばりの海の家みたいな近代建築を作りたいと思っているの。「森舞台」もそうだし、最近の福島の「川/フィルター」って作品もそうなんだけれども。よしずばりの建築の持っている、反近代性みたいなもの、廃墟性っていうか、気持ちいい廃墟みたいなものね。建築を勉強しはじめてそういうものが何で今の建築にはないんだろうって思ったんだよね。都会の小金持ちのための精度の高い建築を作るのをおしえるのが建築じゃないだろうって感じがある訳よ。
- 山口:
- それありますよ、あります。お金はあるかもしれないけれども、豊かさが感じられない家。
- 隈:
- そうじゃなくて、よしずばりのもっている豊かさってあるじゃない。そういうものを作って、なおかつ誰も見た事がない新鮮なよしずばりを作りたいと思うんだよね。
イントロダクション
隈さんは若手?
死んでもいい
都会っ子の憂鬱
自分をプレゼンテーションする
熱海の「水/ガラス」
宮城県登米町「森舞台」と高崎「慰霊公園」の試み
建築家になるために必要なもの
